2007-03-06

パンジーだよりNo.62

新しい年が始まりました。あけましておめでとうございます。そして、いつもパンジーだよりを読んで下さっている方、日頃のご協力ありがとうございます。
 昨年度は、自立支援法にあけくれた1年でした。知的障害を持っている人たちの地域生活が維持できるのか、生活の質を保障する運営ができるのか、一時は暗澹とした気持ちになりました。しかし、そういう時期だからこそ、「何を大切にするかを見極める必要があることに気づいた」と前号のパンジーだよりに書かせて頂きました。
 そんな折り、タイムリーにカリフォルニア研修のツアーがあったので、思い切って参加してきました。私にとっては、10年ぶりの訪問でした。10年前、当事者のパワフルなのに驚き、それを支える制度と実現のためのプログラムに感心しました。その時学んだことが、パンジー版「元気のでる話」や「当事者の講演」として定着しています。今回の訪米では、制度は以前と同じですが、「地域でその人らしくくらす」事が、多くの人に広がっているのを感じました。また、当事者の人権を守るポスト等に当事者が就いていました。
 日本は、当事者主体や自己決定の理念はありますが、それが、当事者の暮らしにどこまで浸透しているかを考えると、まだまだ点としての存在であると思います。それは、例えば、結婚している当事者が多いアメリカと、まだまだ珍しい日本を比べた時に、はっきりわかると思います。
今回、うれしいことに、1991年に来日したコニー(ピープルファーストのリーダーの一人)とバーバラ(支援者)に再会できました。二人は、私がピープルファーストに関わり始めた原点です。この原稿を書きながら、二人との再会は、私に、「原点に戻りなさい」と伝えているように思えてきました。この10数年間、やみくもに活動したことや、状況の中で変更せざるを得なかったこと、やり残した事などがたくさんあります。その1つ1つつなぎ合わせながら、気持ちを新たに、知的障害を持つ人たちの権利とその人らしいくらしの実現に取り組みたいと思います。
 今後ともよろしくお願いします。(林淑美)




SATISFACTION!
今、ケータイの某社は、「CUSTOMER
SATISFACTION」と盛んにCMを流している。「お客様満足度」が高いとアピールしているわけだが、アメリカで、同じフレーズにお目にかかるとは、思ってもみなかった。
 カリフォルニア州発達障害局で説明を受けているときに、表紙に大きく「SATISFACTION」と書かれたパンフレットが配られた。IPP(自立生活支援計画)に基づき提供されているサービスに対して、利用者に満足しているのか 聞くためのパンフだった。
 文字はほとんどなく、分かりやすいイラストで構成されていた。当事者にとって本当に分かりやすいものを、行政が本気でつくっていることに驚いたが、それよりもむしろ「満足していますか」と問いかける段階にあるのだと、改めて思い知らされた。
 私たちは、「誰もが地域で自分らしく暮らす」ことを目ざして活動している。しかし、「障害者自立支援法」が象徴しているように、日本では当事者の自己決定がないがしろにされ、「入所施設」という選択肢が、当事者のまわりから消えることはない。
だが、アメリカは違う。「入所施設は人権侵害」というオルムステッド判決が下され、カリフォルニア州においては、当事者が望む生活を保障するエンタイトルメント(サービス受給権)が確立し、それに対して予算もつく。何よりも権利保障としての視点で、当事者の「生活の質」に目が向けられている、この違いは大きい。そのためか担当者の「施設解体」の話によどみがなかった。
日本での「個別支援計画」は、義務化はされているが、行政の裏付けはない。当事者が計画で希望を語っても、支援する側の「やる気」に委ねられている。これでは結局のところ、当事者の意志は置き去りにされる。「地域生活」は誰のためのものなのか。その意識レベルの差が、当事者の生活の質に跳ね返っている。
アメリカで会った当事者は、皆堂々としていた。支援者も同様である。私たちは、「今の生活に満足していますか」とためらいもなく聞けるだろうか。限られた選択肢しか示せないこの国は、やはり貧しい。(福岡)




正しい方向に歩んできたカリフォルニア州と理念が定まらない日本
コミュニティサポート研究所  齋藤明子

◆本人中心は揺るがなかった!
これまで8回カリフォルニア州に研修旅行に行きました。そして今回の旅行でもカリフォルニア州の本人中心のシステムが揺らいでいないことを確認しました。例えば、これまでも発達障害局、リージョナル・センター(市の障害者福祉課のようなところ)、プロテクション・アンド・アドボカシー(権利擁護センター)には当事者職員がいました。常勤でしたが仕事の内容がはっきりしない「お飾り」的存在でした。しかし、今回はどこでも発達障害者は障害のない同僚と肩を並べていそがしく働き、自分のデスクを持って、本を出したり実際の相談にのったりしていました。予算が不足したといって日本は支援費制度を投げ出してしまいました。カリフォルニア州もその間、破産したと言われるほどの逼迫を経験しました。しかし、予算がないんだから当事者職員のクビを切りましょうとか、本人の希望を無視してサービスを切り詰めましょう、ということにはなりませんでした。この違いは何なんでしょうね?
◆バディがんばれ
2005年4月から2006年3月までコミュニティサポート研究所では『バディシステムの構築とIPPの作成』というプロジェクトを実施しました。これまでの当事者運動は、自己主張、自己決定の推進でした。ここ10年くらいの間にかなりの成果をあげてきたと思います。これからは具体的な問題(たとえばホームヘルプサービスをもっと欲しいとか、こんなサービスは無いかな)について仲間の相談にのるバディ=当事者リーダーを養成できないかな、と思って、ささやかですが取り組んでみました。パンジーさんも参加してくださいました。その時のバディが今回の旅行にも「行きたいッ」と言ってくれました。通訳しながらそっとバディの様子を見ていましたが、仲間が迷っていると説明したり、大事な物をしまうのを助けたり、実に上手にさりげなく助けていました。また、当事者ならではの質問もしてくれました。我田引水とか「欲目だろう」と言われても気にしません。人は役割を与えられると成長し、その役割が勤まるようになるのです。バディばんざい。バディがんばれ。




恒例 ちょっといい話
中新井 澪子

 今年のお正月は、なつかしい人から電話や手紙を多くいただいて、心うれしく過ごした。昨年末に『たたかいはいのち果てる日まで』(向井承子著)の復刻版が刊行(エンパワーメント研究所 発行)されたお陰である。パンジーだより43号〜オシッコの話〜 で一度だけ紹介したことがあるこの本は、私の夫である中新井邦夫(医師)の生きざまを縦糸に東大阪市療育センター設立に至る当事者、家族、専門家、行政など関係者のさまざまな思いを織りこんだ「たたかい」の熱い記録である。1984年に新潮社から出版され、その後、筑摩書房で文庫化されたもののすでに絶版となっていた本が二十数年ぶりに復刻という形でよみがえったのだから、私を含め周りもいささか興奮状態である。
「たたかわなあかんなぁ、けど何に対してなのか」と夫は2度強く思ったという。一度目は、戦争中、突然の空爆でとびこんだ他家の防空壕の中で、そして二度目は当り前の生活が阻まれている障害者と医師として出逢った時だ。どちらも人間同志のせめぎ合いの中で、自分の居場所がない。病院や入所施設でその人の疾病や障害に医師として「たたかい」続けても、普通の生活をしてほしいと思って、一生懸命治療や訓練に努力をしても、彼らに帰る場所は見つからなかった。「たたかい」は地域の中だ、今日から明日につながる日常性にこそと思い定めるうちに、夫は自分が手をこまぬいて見ているわけにはいかなくなった。
 復刻版のオビに「障害者の地域における暮らしを支えるシステムはどうあるべきか。自らの死に至る病をかえりみることもなく、その答を求め続けたひとりの医師の壮絶な生きざま」と書かれている。でも実際は、緊急を要する施設として療育センターを設立した時すでにその答は出来上っていたように思う。発病してからの「たたかい」はその実現に向けて、また安定的な継続を可能にするために奮闘したのである。この「たたかい」はある意味その後ずっと、そして現在も各地で続いているといってよい。そのまぎれもない証拠が、今回の奇跡的な復刻である。エンパワメント研究所久保耕造氏(ホームページ)の復刻顛末記や「復刊ドットコム」に寄せられた多くのコメントを読むと、各地でさまざまな「たたかい」をしてきた人達に、この本は確かな信念と方向性を与えていたことが分かった。久保氏はじめ全く知らない多くの人達の力でこの本が復活したことに感動している。復刻本を手にして私ははじめて、心穏やかに読むことが出来た。決して「後の祭り」ではなかったと思えるようになったことがうれしい。この場を借りて向井承子さんに改めてお礼を申し上げたい。
 「乳ガン」を自分で見つけた時から、夫の最後の壮絶な「たたかい」が始まった。「たたかい」続けたから早く逝ったのか、早く逝くから「たたかい」続けたのか、どちらも本当のような気がするが、私だけでなく多くの人の心の中で、まだ生き続けているのも本当だ。
 没後25年目の昨年、障害者自立支援法が施行された年にこの本が刊行されたのも偶然ではないのかもしれない。著者のあとがきにもあるように「この社会はどちらに向いていくのか」また新しい「たたかい」が始まっている。
 どうも私は夫のことを書き出すと止まらない。結局今回は復刻版のことで紙面がつきた。「加齢」の続きは、また次回ということでお許し下さい。

「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記 by 久保耕造
http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai.htm
「たたかいはいのち果てる日まで」復刻顛末記 2 by 田中正博
http://www.normanet.ne.jp/~ww100136/tatakai-2.htm




再び差別表現を考える 3
楠敏雄

これまで見てきたように差別とは、あるものを他のものと区別するためにそれぞれの違いに優劣の価値付けなどを行い、それに基づいて劣った人たちを選別し、排除することである。
ところで、時々マスコミ関係者などから「どんな言葉が差別語にあたるのですか?」と問われて、答えに窮することがある。もちろん長い歴史をとおして、特定の人々を貶めるものとして使用されてきた言葉は、今もなお存在し、時には差別の実態を固定化し、拡大することにさえなっていることも否定しがたい事実である。しかしながら、それらの「おずおずとした対応」を生み出した原因は、しばしば被差別者の側の「主観的抗議」と、使用する側の「過剰な反応」に由来してきたことも確かである。
ある言葉や表現を差別か否か、と規定する要件として考えられるのは、まず第一にその表現を用いた人の意図、つまりその人は対象者の尊厳を否定し傷つけることを意図して発言した場合である。障害者差別に限って言えば、それは障害を持つ当事者に向けられた侮蔑的言葉であり、それらは無条件に「差別表現」として使用した側に根本的な反省と謝罪、さらには差別意識の変革を求めるのは当然と言える。第二の要件は、その使用者がどのような場面でその言葉を使用したかである。例えその相手が障害を持たない人であっても、その相手を非難、もしくは貶めるために比喩的に使用された場合、それは差別表現と言わざるを得ない。その際にもやはり、その発言者が抱いてきた障害者観が問い直されねばならぬことも言うまでもない。
最後にしばしば論議となるのは、すでに日常的な用語として用いられる表現である。例を挙げると「時計が狂う」「盲目の恋」「こんな失敗をしてアホやなあ」などなどである。それらは相手を非難したり貶めたりするために用いられたとは言えないが、一方でマイナスのイメージを表現することに結びつくこともしばしばである。ただこれらは、基本的には「ケースバイケース」で検討を加え、対応するしかないのだが、率直に言って私たち追求する側と使用する側とのコミュニケーションがきわめて不十分だったことは否めない。その結果が過度な「言葉狩り」や「禁句集」的な悪疫を生み出してしまったのではなかろうか




自分を大切にしてほしい! 八尾の事件から考えたこと

八尾市で、 知的障害を持つYさんが、歩道橋から3歳の子供を投げ落とすという事件が起きました。
子供とその家族の人たちの心情を考えると、言葉がみつかりません。1日も早い、体と心の回復を願います。
パンジーは、活動を通してYさんを知っている当事者の人たちがいます。その人達は、同じ障害を持っていると言うだけでなく、知っている人が起こした事件に、気持ちが大きくゆれ動きました。そこで、まず、障害を持つ当事者としての自分たちの気持ちを整理するために、話し合いを持ちました。
日々知的障害を持つ人たちに関わる私たちが、「今後何をすればよいか」を考える参考になればと思い、一部を紹介したいと思います。


「八尾の事件をどう思いますか?」
・障害者の人たちが世間から変な目で見られないか心配。変な目で見られたらつらい
・Yさんのお母さんが「相手の人になんてお詫びをしたらいいのか」って言っていた。お母さ
んがかわいそうに思えた。
・自分を大切にしてほしい。人生が変わってしまうから。腹が立ってもケガさせたらあかん。
・子どもを見んと、クッキーの販売をしていたらよかった
・Yさん、もっと大切なことを学ばなあかんかもしれん
・人の命をどうして、あんなことするんかな?
・Yさんは、心からちゃんと話しあえる友達とかいたんかな?なんでも言い合える仲間。
・時間たっぷり使って話し合えたら、心のもやもやや、つもりつもった気分もすっきりしたのかな?


「自分がYさんだったら、どんな気持ちですか?」
・仲間がほしい
・競馬行こう、コンサート行こう。冗談交じりの話でも聞いてもらいたい
・僕の立場やと、ちゃんとアドバイスを受けたい。あったんかな?職員や仲間から
・Yさんのその時の状態で、ぴったり見ておく時と、遠くからで良い時とがあると思う。


「知っている人の事件でしたよね?」
・知っている人がやったんやなーってビックリした。Yくんをテレビ見て。Yくんが車で座って下向いて出とった。
・ なんで追いかけて行かへんかったのか?「やめなさい。子どもを投げないで!」って言うため
・僕の所に連絡してくれたら、とんでいって助ける。Yさんを止める


「人を歩道橋から突き落とそうとするのを止めるということが、Yさんを助けるってこと?
なんで投げたと思う?」
・ストレスがたまってたんちゃうか?
・Yさんに会ったら「なんでそんなことしたんか、赤ちゃんをなんで歩道橋から突き落としたんか説明してくれへんか?」言う
・あんな事件が起こったから、ハート行くのやめようかなっていうぐらいショックやった
・みんな傷つくんちゃう?昨日色々考えてつらくて泣いた。
・Yさんにやめてくれって言って、Yさんを助ける。赤ちゃんも助ける
・覆面パトカーに乗ってるのをみて。・・・こうやって(肩をすくめて)乗ってて運転手と助手席人と
・今度Yくんが出てきたら、絶対やめてくれっていう。
・自分の人生はこれから仕事もいっぱいあるのに、投げてしまったら。
・全国の地域で年令問わず人を殺したり、首締めたり、事件なんかおこってほしくない
・二度と繰り返さないでほしい。今度出てくるまでにしたことをつぐなってほしい。
・子どもが治るかな。子どもがなおらんかったら罪が重くなる。裁判所がどう言うか


「今後、職員や地域の人に、どうしてほしいですか?」
・職員は何のためにやるんだろう?責任もって見てほしい。
・職員さんに声をかけてほしい。冗談でも、怒らないように言ってほしい。名前を言ってほしい。冗談でも。
・他の当事者の人が重度やったら、難しくなるんかな?
・みんなを守ってほしい。
・一人ひとりに声かけたらいいんちゃうかな?
posted by パンジー at 09:25 | パンジーだより

2006-11-12

パンジーだよりNo.61

10月を目前に控えて、自立支援法の全体が見え始めた。障害を持つ人たちや家族にとっては「負担金も含めて、自分たちの生活はどうなるのだろう」と不安だろうし、事業者にとっては「収入が大きく下がる中でこれまでのサービスが維持できるのだろうか」の不安がある。
 この間の私たちの訴えが少しは功を奏して激変が緩和された部分もある。しかし、知的障害を持つ人たちが主に利用している施策については、障害程度区分によって利用できるサービスが決められ、事業者には効率と合理化が要求されるシステムだ。
 このシステムは、第三者にとっては当然のように思えるかもしれない。しかし、「何らかの理由により外出できなくなっている人」が自信を取り戻して経験を重ね、その人らしいくらしを送れるようになるには、その日が来る事を信じて待つ時間と適切な支援が必要だ。それを、自立支援法は無駄だとみなしたのだ。一見当然と思われるシステムが、より弱い立場の人をはじき飛ばすのだ。
 この間、できる限りの事をした。実情も訴えた。デモもした。そして、よりよい制度にするための闘いは、これからも続くだろう。しかし、私にとっては、失うものの大きさに振り回された感がある。失うものに着目すると不安は広がる。そして、先が見えなくなる。もう、失うものは見えた。何を大切にするのかを決め、本当に大事な事を大切にし、必要な事を主張し続ける位置に早く立つ時期に来ていると思う。そして、それは、これまでもやってきた事である。
 最後に、8月の末に2泊3日のパンジー旅行に行ってきた。昨年はバスの座席に座れず、移動中、立ちっぱなしだった人が座り、眠れなかった人が熟睡するのを見ると、安心できる仲間とのたくさんの経験が、一人一人の自信につながるのだとの思いを強くする。帰りのバスでは、「楽しかったな・・。来年はどこへ行こうか?」と話している人もいた。月並みかもしれないが、私は、このような場面に、とても心がなごむ。そして、こんな経験を、もっとたくさんして欲しいと思う。みなさん、心が和む経験をたくさんしていますか?(林)




「特集 知的障害者こそもの申す」

誰が棺桶を担ぐのか

神奈川・社会福祉法人同愛会CEO兼理事長 高山和彦

 知的しょうがいの仲間が死んだとき、誰が棺桶を担つぐのか。この問いに答えることが地域で暮らすことの究極の意味だと思います。一人っ子で暮らしている障碍の仲間もおおぜいいます。父さん母さんを見送った後、彼・彼女を誰が見送ってくれるのだろうか。もちろん、グループホーム(GH)で暮らしている仲間であり、日中の活動を共にしている仲間です。
 ところが、障害者自立支援法はGHやケアホームを「どや」にしてしまいました。僕ら事業者は利用者から日銭を稼ぐどやの主です。ゆっくり養生してきぃ、と長期入院や長旅は歓迎できません。海外旅行はとんでもないことです。GHが障碍の仲間たちの家でなくなり、心の寄辺がこの法律によって奪われてしまいました。近い将来、GHは血縁を伴わない共同体のあり方として、障碍のある・なしに関係のない暮らし方・生き方になると思っています。シングルで暮らしている高齢者が励まし合って生きるあり方がGH的な意味であって、ウンコの介護にあるのではありません。障害者自立支援法には、障碍のある人たちが生きる思想が欠けています。
 また、みんなで支えるという美しい言葉を使いながら、この法律は障碍者の懐に手を入れて生存権を盗んでいます。生活保護費に満たない年金の人たちに対して、仕事をして得た工賃も収入になってしまう応益負担を導入しました。所得保障制度の確立が前提だとアドボケイトを自認していた多くの人たちが、この法律の成立に期待し、協力してきました。が、誰一人、所得保障ができなくてごめんなさい、と障碍者に謝っていません。
 このような情況に対して、黙っていていいのでしょうか。ストップ・ザ「障害者自立支援法」。8月4日、800人を超える横浜の知的障碍の仲間たちが立ち上がって、集会を開き横浜市役所までデモ行進をしました。9月30日にはストップ・ザ「介護保険制度統合」を全国に呼びかけた集会を開きます。この法律に対する徹底した抗暴が必要です。持続する意思と行動が求められています。6102yokohamano3.jpg




新幹線で横浜の集会に行ってきました
河野明裕

 こんにちは。河野明裕です。僕は東大阪市、東鴻池の府営住宅の4棟803号室グループホーム「てくてく」に住んでいます。仕事の場所はグループホームから見える、近くのパンジーに通っています。僕は新幹線が好きです。新大阪から一人で新幹線に乗って、岡山、広島、京都にも行きます。新幹線は速いから好きです。500系のぞみが一番好きです。
 僕は、8月4日に横浜の集会に行ってきました。行くときも帰るときも500系のぞみでした。運があるんやなーと思いました。うれしかったです。
かえる会で、「横浜で集会がある」と聞きました。行ってみようかなと思いました。近いところやったらスピードが遅くても行けるけど、横浜は遠いからスピードが速くないと無理なので、新幹線に乗れると思ったので、行こうと思いました。新幹線やから日帰りで行けたと思います。新幹線じゃなかったら、名古屋ぐらいしか行けなかったと思います。
 横浜では、集会の前に中華街に行きました。みんなで食べ物を食べたのがよかったです。僕は豚まんとソフトクリームのバニラを食べました。横浜の豚まんはちょっと違いました。大きさが違いました。大きかったです。
 その後に集会に行きました。集会では、みんな「反対!」とか言っていました。パンジーのみんなでステージに上がって生田さんがしゃべりました。僕もステージに上がって、緊張したけど、よかったと思います。生田さんは怒っている顔をしていました。横浜の人なので、知らない人ばかりだったけど、パンジーからは知っている人と行ったので、慣れているから平気でした。生田さんは横浜の人と話をしていました。なんで知っている人がおるんかなと思いました。
 集会の後は、デモ行進をしました。いつもは歩いてはあかん車道を歩いたけど、許可があるから歩いてもよかったです。集会もデモ行進も暑かったけど、ジュースをぎょうさんもらえたので、ラッキーでした。

 僕は、今まで大阪の他に東京の自立支援法の集会に行ったことがあります。東京が1回目で、横浜が2回目です。東京の集会も横浜と似たようなものでした。みんな怒っていました。自立支援法にぼろくそ怒っているんやなーと思いました。僕は、もっとお金のことをちゃんと考えてもらいたいです。お金があったほうが、不幸せじゃなくて、幸せやと思います。みんな困っていることをわかってほしいです。
 入所施設をなくせと言うこともあります。僕は入所施設に入っていたことがあります。入所施設はあんまり好きじゃないです。僕はグループホームに住むようになってから、新幹線に乗り出しました。入所施設にいてる頃は、お金がないから行けませんでした。売店でジュースとかお菓子、パンを買うために1000円とか300円をもらっていました。1000円とか300円では新幹線に乗れません。乗ったらタダ乗りみたいです。グループホームは時間が決まってません。自由な時間です。世話人は「自由ですよ」「どっか遊びに行ってもかまへん」と言います。入所施設は時間が絶対決まっています。どこかに行くときは許可がいります。グループホームのほうがよかったんちゃうかなと思います。みんなもそう思ってるんちゃうかな。「入所施設をなくせー!」と言っているのは僕も思っているし、賛成です。
 みんな新幹線に乗るときはうれしそうな顔をしています。新幹線の中では、みんなは話しています。僕は風景を見てます。人はそれぞれ好みがあるんちゃうかなと思います。また、みんなで新幹線で違うところに行きたいです。同じところじゃ飽きるから九州とか違うところが良いです。旅行でも集会でも良いです。
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 8月4日(金)に横浜で開かれた「ストップ・ザ障害者自立支援法」に参加してきました。今回の集会は、横浜の知的障害者関係の団体が実行委員でした。知的障害者関係で800人、精神障害の人も合わせて1200人が集まりました。
 私たちは「同愛会」の人たちと一緒にデモをしました。同愛会では、グループホームで300名を超える人がくらしているそうです。その人数の多さに驚きました。
 集会が始まる前にパンジーの人達でステージへ上がりアピールをしました。生田さんは、「このままでは生活していけない。大阪でもなかまと一緒に闘っています。横浜のみんながどう考えているか知りたいと思って来ました」と発言しました。横浜の人たちも、知的障害、精神障害をもつ人たち、親の人たちから、次々に声を上げ、自立支援法反対を訴えました。
 当事者同士が集まり主張することで、大きな力となり発信していく強さを感じました。
 今回の横浜の集会では、知的障害者関係の団体が中心になっていることに意味があるのだと思いました。発言できる人たちだけが集会に参加するのではなく、目の前の問題に関わる全ての当事者が、体を張り真剣になって主張していくことで、世間一般の人にも知ってもらうことができ、名前だけの「自立支援法」の厳しさを共有できるのではないかと思いました。(上中)




2006年度パンジー旅行

8月30日(水)〜9月1日(金)の2泊3日でパンジー旅行に行ってきました。参加者は、全部で111名。行き先は「高山・上高地コース」「北陸コース」「小豆島・四国コース」の3コース。バスでのんびりと旅行を楽しんできました。

<高山・上高地>

1日目、岐阜県荘川高原はすずしく、コテージもおしゃれで広くて過ごしやすかった。夕食は飛騨牛食べ放題!キャンプファイヤーでは炎を囲んで歌とダンス!好きな人と手をつなぎたいけどできなかったり、告白したり・・・。上高地はとてもいい天気で山がきれい。みどりの中、ハイキングをして楽しんだ。3日目は、高山の城下町では、朝6時に起きて、朝市に行ったりする人も。おばちゃんと会話しながらつけものを買ったりして楽しみました。
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<小豆島・四国>

1日目は、バスとフェリーで、小豆島へ。小豆島は、オリーブと「しょうゆ」「つくだに」の看板がたくさん。「つくだにソフトクリーム」も!ホテルでは宴会をして、最後は海辺で花火。2日目は、パンジー?Uで売っているマルキン醤油の記念館を見学。「パンジーで売っているそうめんも醤油も、この島で作っているんだなあ」そして、徳島の祖谷渓へ。山奥にたどり着いたホテルは、とてもきれいだった。3日目は、祖谷のかずら橋へ行く。すばらしい景色にスリル満点のつり橋。走り抜けようとしてつまずく人あり、あまりの迫力に涙しながら渡る人あり・・・。
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<北陸>

ずばり!『グルメ旅』。まずは敦賀で「甘エビ食べ放題」。大きなザルに山盛りの甘エビを次から次へとむしっては食べて大満足。「羽二重餅の古里」では、いろいろな味の羽二重餅を試食しまくり。芦原温泉で、恒例の大宴会。2日目は金沢市の甘味処「ひがし茶屋街」。甘いものを食べて大満足。3日目、「ゆのくにの森」では、オルゴールを作ったり、染め物をしたり、紙すきをしました。最後の昼食は、焼き肉。最後まで食べまくり!
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「加齢」の問題 2
中新井 澪子

 今夏、北海道浦河にある「べてるの家」を見学した。小規模授産施設2ヶ所、グループホーム3ヶ所、共同住宅3ヶ所、福祉ショップ(有限会社)などで構成され、約150人が多種多様な事業に関係している。精神障害を持った人達が中心で、「弱さを絆にして」ありのままに時にはしたたかに、過疎の町で賑やかに生活されている様子が感じられた。年間2千人を超える見学者には、メンバーによる専門のチームが対応している。私たちもまず朝の全体ミーティングに参加した後、「迎能プロダクション」チームによる歌と踊りの歓迎をうけた。次に「オリエンテーション研修」チームによる多様な施設・事業の詳細な説明があり、「うまいもん」チームの中に入って「おつまみ昆布」の袋詰めを行った。何だかパンジーに居るみたいと思ったが、壁にはべてるの理念が書かれている。気に入ったのは「そのまんまがいいみたい」「手を動かすより口を動かせ」気になったのが「病気に助けられる」「自分でつけよう自分の病気」。精神障害はやはり「病気」なのか。「障害」との違いは?など今も考えている。でも、機関誌を読むと−メンバーは年と共に体重を重ねて、精神病より成人病との付き合いの方が重要になってきています。そこで支援スタッフは、血圧の測定、血糖値の状況、内科外来の受診、服薬の確認、食生活の工夫に奮闘中− とのこと。日常生活における支援は、障害とは関係なく同じようである。

 さて、「パンジー」に戻って、前回の続き「加齢」を考える。
まずやってくるのが、筋力や柔軟性の低下で、運動機能が知らぬ間に衰えてくる。面倒がらずに出来るだけ身体を動かすこと、また腰痛や転倒予防の体操等は、スタッフも一緒に行いたいが、決して無理をしないことが大切である。時々は意識してゆっくりと深呼吸をする。また、顔の筋肉も動かそう。目や口の周囲、耳やあごの下など指で押すだけでもよいが、にらめっこなど百面相をしあうのも楽しいと思う。決してシワやタルミの防止ではない。表情を豊かに保ち、視力、視野、涙の出入り、咀嚼や唾液分泌などの機能を維持するために必要である。
 面接を続けているSさんの不調の一つが目の奥の痛みである。彼の筋力低下は加齢によるものではないのだが、向いに座っている私を見るときですら瞼を上げようと力を入れている。彼の仕事場(パン屋)では、立って作業をしている人が多いので、話をする時など車イスの彼は常に見上げなければならない状況を考えると、眼の周囲の筋肉疲労かもしれない。Sさんの訴えに、私は暖かいおしぼりで眼の上のホットパックを勧めると、本人曰く「これはよく効く」と。私もそうだが、瞼がゆるんでくると、たとえばテレビなども少し下向き加減で見る方が楽なのである。
 運動面はまだ気がつきやすいが、感覚の変化にも注意を払いたい。視覚については、老眼への対応が必要になってくる。当事者からの訴えは少ないのだが、度数の異なる老眼鏡を揃えておいてはどうか。細かい作業の時に試しにかけてもらって本人に楽な方を選んでもらえばよい。また、世の中暗く見える白内障や異物感や痛みを伴うドライアイ、他にも加齢により異常がでる眼の病気も多い。視覚の不調はやる気や根気を減少させる。時には失明に至る病気もあるので、気をつけたい。
 聴覚については難聴への対応があるが、加齢による場合、補聴器はそれほど有効ではないらしい。私が検査を受けた時、聴きとりが悪くなってくると、音は聞こえても、聞き間違えを防ぐことにはならないと言われた。人間関係が悪くなる原因の中には、聞き間違えによる誤解も相当あるので、配慮したい。大事な話し合いや情報伝達の際には、やはり書いたものを用意した方がよい。
 触覚の衰えもなかなか自覚できない。持っているものを落としたり、ちょっとした段差につまずいたりして思わぬケガをするのは、老化の始まる頃に多い。また、低温ヤケドも要注意である。次回は私が最も気になっている「燕下」と食事について考える。




再び「「差別語」と「差別表現」を考える 2
創思苑理事 楠 敏雄 

 前回は童話『ピノキオの冒険』を取り上げて、差別表現について考えてみた。今回は、何をもって「障害者差別」を否定するかについて、もう一度整理してみたいと思う。
 ここ数年、日本でも「障害者差別禁止法」の制定を求める声が高まり、各自治体レベルでも「障害者差別禁止条例」を巡る具体的な論議が活発となっている。私なりに「障害者差別」を最も簡潔に定義してみると、次のように見ることができると思う。すなわち「身体的、精神的な能力上、または形態上もしくは個性上の違いを理由に、障害を持つ人たちが、他の市民と平等に有しているはずの権利を侵害、もしくは制限し、障害者に様々な種類の屈辱を与えること」となる。もちろん、この点でもまだ十分とは言えないが、もっと簡単な言い方をすれば「一人一人の能力的な違いを認めず、不等に扱うこと」ということもできる。
 本来はこの後に「障害とは何か」に関する言及が必要なのだが、今回は中止して、むしろ基本的な問題として「差別」と「区別」の相違についてもう少し、突っ込んで考えてみたい。
 最近、しばしば「商品の差別化」という言葉が言われるが、それは文字通り、「よりよい商品―電化製品や食料品―などを消費者に提供し、消費者がそれを選択すること」が狙いであるといってよい。しかしながら、人格を有する人間の場合となると、そんなに簡単ではない。すなわち、上にも述べたように人間には、それぞれ能力や個性の上での違いがあるが、そうした違いに価値付けを行い、それを根拠として、人間の自由や権利を制限したり侵害することは、許されないであろう。もちろんそれぞれの人々に対する「好き嫌い」や評価は否定できないが、それを理由に、集団から排除することは認められないのも当然である。それは「ノーマライゼーション」や「インクルージョン」の理念に反し「ともに生きる社会づくり」につながらないからである。ようするに「区別」と「差別」の最も重要な違いは、個々人に対する不利益や排除を伴うか否かにある、ということにある。(つづく)
posted by パンジー at 00:00 | パンジーだより

2006-06-01

パンジーだよりNo.60

知的障害を持つ人たちへの個別支援は、ぜいたくですか?

4月1日、多くの障害当事者が反対した「障害者自立支援法」が施行された。パンジーでは、日中活動の場を拠点とし、知的障害を持つ人たちが地域の中でその人らしいくらしができる事をめざして活動してきた。そして、どんなに障害が重くても、グループホームでくらし、個別支援のホームヘルパーを利用し、休日はガイドヘルパーと余暇を楽しむ地域生活を可能にしてきた。自主的な取り組みが多くの要望となり、制度として実現したのだ。また、このような生活が、入所施設からの地域移行を進めるモデルになる事を願ってきた。しかし、今回の自立支援法では、障害の重い人や関わりの困難な人の地域生活は不可能になってしまう。
自立支援法で、知的障害を持つ人たちへの大きい打撃は、グループホームでのホームヘルパーが利用できなくなる事と、ガイドヘルパーが市町村任せの曖昧な制度になる事だと考える。私が、この2つにこだわるのは、いずれもが、個人の生活を支える制度であるからである。知的障害を持つ人たちにとっては、長年、集団生活を余儀なくされる入所施設がメインの制度であった。そして、徐々に地域生活を可能にする通所の施設やグループホームが制度化されてきた。しかし、それも集団である。それを補うものとして、ホームヘルパーやガイドヘルパーが制度化されてきたのではなかったのだろうか? 知的障害を持つ人たちにとって、個別支援はぜいたくなのだろうか?
この間、多くの自立支援法反対の集会に参加してきた。親の費用負担に反対する声や、私も含めて事業者の立場からの、運営が厳しくなる事を理由にした反対の声は多い。そして、知的障害当事者の、ガイドヘルパーやホームヘルパーに関する発言は少ない。このことが、障害の重い人がホームヘルパーを利用しながら地域で生活している人が少ない事や、ガイドヘルパーの利用も、親の意向にかかっている現状の現れであると思う。
暗澹としてばかりはいられない。現実は容赦なく進んでいる。気持ちを引き締めて、知的障害を持つ人たちがどんな生活を望み、どんな制度を必要としているのかを発信していきたい。                            (林淑美)




グループホームを施設にするな!

梅原義教

ぼくは、入所施設をなくすために、いままで たたかってきました。ぼくは、子どものときに、施設に入っていました。毎日、くんれんばっかりで、いやな思いをしました。何で入所施設におらなあかんのか、毎日くやしかったです。
今はグループホームに住んでいます。グループホームで友だちときらくに住んでいます。みんな施設を出て、地域でくらしたらいいと思います。もっとグループホームがふえたら、施設はなくなると思います。
でも、グループホームが施設みたいにされそうになっています。自立支援法でグループホームが悪い方にかえられました。
グループホームでヘルパーがつかえなくなると 聞きました。ぼくはホームヘルパーにいろいろ やってもらっていました。ヘルパーがこなくなったら、世話人の仕事が、たいへんになります。そんなことになったら、ぼくは、えんりょして、やってほしいことも言いにくくなります。
ガイドヘルパーも、つかえなくなるかもしれないと聞きました。ヘルパーといっしょに、外に行けなかったら、グループホームに、とじこもることになります。グループホームが施設といっしょになります。そんなことはやめてください。
また、障害のおもい人と、かるい人で分けられることになります。今までぼくたちは、仲間で助けあってくらしてきました。すきな友だちとくらしてきたのに、なんで分けられるのか。今の友だちが、かるいグループホームに引っこしさせられることになるのでしょうか。そんなことになったら、かなしいです。
自立支援法で悪くかえられるときいて、ぼくたちは何回もたたかってきました。東京にいって、厚生労働省の人とも話をしました。でも国の人たちは、ぜんぜん、わかってくれませんでした。もっと当事者の話をきいてほしいです。
大阪でも、たくさんの人たちと何回も集会を やったり、デモ行進を しました。3月にも大きな集会をしました。そのなかで、ぼくはグループホームを施設にするなと アピールしました。国の人も、きていたけど、むずかしい話ばっかりでした。
施設をなくして地域でくらすには、グループホームがひつようです。もっとふやすために、これからも、たたかっていきます。




「グループホームと自立支援法」  

障大連・古田朋也

グループホーム(GH)は入所施設とは違った「地域生活の場」として生まれ、制度発足から15年余りになります。GHによってとりわけ知的障害者の自立生活が飛躍的に伸びるなど、在宅生活や入所施設・病院からの地域移行において、GHは大きな役割を果たしてきました。しかし、4月から施行された障害者自立支援法では、これまでのGHでの暮らしを「非効率」とし、GHを「ミニ施設」に変えていこうとしているのです。
まず、自立支援法の下では、障害程度が中度・重度の人のホームは「ケアホーム」、軽度の人のホームは「グループホーム」と呼ばれることになります。これまでは入居者数をホームごとでカウントしてきましたが、今後は法人全体で人数をカウントすることになり、30人ぐらいの規模にしていくことが目指されています。
従来、世話人の配置は「入居者4人に対して1人以上」(4:1の配置)でしたが、ケアホームで6:1、GHでは6:1か10:1とされます。現行のホームは「4人入居」が多く、一人の世話人が別のホームにも対応しなければならなくなります。
また、「GHでのホームヘルプ利用」も見直され、各入居者のヘルパー利用が大きくカットされます。しかも、入居者それぞれの障害程度区分判定に基づいて報酬額が決められますが、今の額よりも低くなるため多くのGHで補助額が大きくダウンしてしまうのです。
要するに国は、経費削減のためにGHも施設並みの職員配置、支援体制で運営させようとしているのです。GHは入所施設での「集団管理」とは違って、「共同生活のよさ」と「個々の生活を尊重した支援」を併せ持ってきました。大阪府−各市町村ではこれまでGHでのホームヘルプ利用を促進し、また、「運営安定化加算」等、GHへの独自の「上乗せ補助」が打たれてきました。そうした積極策により、大阪では重度障害者の入居も進み、全国でもトップレベルの設置数を実現してきたのです。国の基準どおりに下げられてしまうと、GHでの暮らしが脅かされてしまいます。個々の生活を何としても守っていくために、大阪での制度水準が維持されるよう、府・各市町村に強く働きかけていきましょう。




「誤審」をなくす努力を

 3月にアメリカで開催されたWBCでは、一人の審判の誤審によって、日本中が大騒ぎになった。しかし、あの誤った判定に関わらず、最後には世界一になったのだから結果オーライでいいのだけれど、はたして自立支援法の障害程度区分でどれだけ「誤った」判定が出るのだろうか。今度の「誤審」は、結果オーライでは済まされない。
 自立支援法においての障害程度区分は、利用できるサービスを選別する。しかし、一次判定で実施される106項目の調査項目や、認定調査員に指導されている国のマニュアル、Q&Aでは、特に知的障害を持つ人たちにとっては、地域生活をおくる上での実際に必要な支援が見えてこない。必要な支援が反映されないまま、サービスが選別されたら、その人の地域生活は破綻してしまう。
私たちもそうだが、知的障害を持つ当事者の多くは、経験を重ねることで、自分の地域生活を獲得していく。それは「これができるから、それもできるだろう」ということではない。一つ一つ積み上げてもいくし、後退もある。この調査では、そうした過程は反映されない。「日常的に」「より頻回な状況で」できているかどうか判断するとマニュアルにある。当事者自身が感じる環境の変化で、できなくなる場面、より多くの支援が必要な場面は、それほど珍しいことではない。それなのに「できる」と判断されたら・・・。
 それに行動障害の項目は、コンピューター処理では驚くほど点にならず、区分に反映されない。また、実際に行われている支援が当てはまるところがない。常時支援が必要な状況は、「見守り」も含めてずっと寄り添っているのだということを理解してほしい。これでは、気になることが多い人ほど、地域で暮らしていけない。
また知的の当事者の場合、調査員が特記事項に記入するケースが多くなるのだろうが、2次判定の場である審査会で、特記事項はどう評価されていくのか。評価できないから再調査、という事例も多くでたという話がもう入ってきている。審査会で1人にかけられる時間は5分、10分だという話もある。となると、再調査にならず、特記事項が切り捨てられる事例も必ず出てくるだろう。限られた時間・情報だけで的確にニーズを把握するのは無理があると強調しておきたい。
何よりも、閉ざされた入所施設の生活を想定しているとしか思えないこの調査に対して腹が立つ。それに「できる」「できない」の発想は、夢を奪う。少なくとも私たちは「やりたいこと」を支援してきたし、これからもそうありたい。やはり障害程度区分の仕組み、そのものを変えるべきだというのが本音だが、「誤審」をなくす努力を国に求めていきたい。
認定調査員 福岡挙




「障害者自立支援法」に負けへんで!
「障害者自立支援法」になって、いろんなことが変わりました。そのことについて、かえる会などで話をしました。

1,どうする!? 給料のこと
パンジーとパンジーUに通う当事者が10人増えました。4月の中ごろに、かえる会に「今までの給料を払うのはむずかしい」と職員から相談がありました。かえる会は職員の話を受けて、給料をいくらにするか考えました。
一つめの案は、今までどおり全員5500円。二つめは全員4500円にするという案。三つめは、来た日数で給料をきめる案で、たくさん休んだ人は給料が少なくなります。
かえる会は、2週間にわたって話し合いをしました。

O:今まで、みんなでがんばってきたから、自立支援法で給料が少なくなるのはおかしい!これからもみんなでがんばったら5500円払えるんちゃうの!?
F:給料がへる人が、お金がなくてガイドヘルパーと出かけられなくなったら、かわいそう。
U:休んでいる人の分まで、はたらくのはおかしい。
N:給料へらされたくなかったら、毎日パンジーに来るようになったらいいやん!

どうするか、なかなか決まりませんでした。でも「ゆっくりペースで仕事ができなくなる・・・」ということで、三つ目の案にきまりました。
U:給料かせぐために、お中元でそうめんを売る。たくさん売るで。
K:配達と販売をがんばりたい。パンがたくさん売れるといいなあ。
H:じてんしゃの配達をがんばる。みんな注文をくださ〜い。
N:マフィンをもっと売っていきたい。販売はたのしい。たくさん売れたらたのしいから、がんばってます。
M:仕事をして、お金をためて、みんなでたのしい旅行に行きたい!

2,どうする!? 生活のこと
T:「自立支援法」はひどい。今までは昼ごはんがただやったのに、お金がいるからひどいと思う。もどしてほしい。小泉総理が悪いんやろ?
Y:今、2人介護者がいてるグループホームも夜1人になることがあるってこと?
T:きついわ。
I:倒れたり、発作の人がおったらどうするんや?
T:アンラッキーで死んだら、だれの責任や?
I:厚生労働省の人か? 支援法なんてなかったらええ。
O:支援法になってから職員や介護者がたらんようになった。グループホームでもパンジーでも介護者や職員がへったら、当事者がケガをしたりして、親もパンジーにこささへんわ。パンジーがある意味ないやん! 職員もやめていく人がふえるぞ。国はきたないもんやで。
Y:お金がへらされるし、グループホームではホームヘルパーが使われへんからはらがたつ。めっちゃはらがたつ。自立支援法つぶしたい!
M:ガイドヘルパーも悪くかえられるかもしれんといっていた。
H:どないしょ。
Y:もんくを言いに行ったほうがええ。
I:当事者どうし「大丈夫か」ってあちこち電話するわ。「大丈夫か?」って言うけど、どないにもならん・・・。
職員:本当はどんな生活がしたいですか?
I:お金増やしたい。アメリカに行きたい。すーっとするわ。お金なかったらどこにも行けへん。
T:ヘルパーとどっかに行きたい。おいしいものをいっぱい食べたい。
O:あっちこっち、全国の人と交流。みんなの話をきいたり、あちこちの地域のこととか知りたい。
I:支援法に負けんようがんばらんと!




10年目の春に「加齢」を考える
中新井 澪子

 新年度に入り、パンジー、パンジーU、ザ☆ハート、デイサービス各々に、新しいメンバーやスタッフが加わった。私の印象では、スタッフの平均年齢は毎年あまり変わらないようだが、メンバーの平均年齢は着実に高くなっているように思える。今後、特にグループホームでは、中年以上のメンバーを若いスタッフが支援することが多くなると予想される。そこで、シリーズで「加齢」について考えてみることにした。
そういう私もパンジーに週一日来るようになって10年、当然の事ながら10才年齢が高くなった。中年期から老年期へのやっかいな「加齢」と今も、そしてこれからもつきあっていくわけである。病気や怪我なら自覚もするが、ただ歳をとるだけでいつの間にか身体の機能が低下してくる現実はなかなか受け容れがたい。丁度、車で直進しているつもりが、道なりにゆるやかなカーブがあったために、突然方角が変ってしまっていてうろたえる、そんな感じである。私の場合も、私自身の加齢による問題がいろいろある上に、昨年からやはり加齢により歩行困難になった母親の介護も必要になってきた。「こんど、いつ来るの?」と待っていてくれるメンバーもいて、心苦しいのだが、この春から、私の出勤日を隔週から月1回のペースにしていただいた。そんなわけで、当事者である私が今のうちに「加齢」の問題を話しておきたい。
 その前に、今回は青年期、成人期にも見られる「退行」にふれておきたい。退行とは、「生涯発達の過程で、いったん獲得、到達した日常生活の適応水準が、何らかの原因で低下し、以前の状態に戻ること」と定義される。昨年の日本発達障害学会では、「退行」に関する発表が多く、シンポジウムも開かれた。報告によると、通所授産144施設のアンケート調査では、対象者5601名のうち5.6%の313名が退行を呈している。発生年齢も平均では44.8才だが、ダウン症は30才位から見られることもあるとのこと。原因としては、@加齢による自然な衰え、低下、A疾病(身体疾患、精神疾患など)、B心理的不適応によるものなどが考えられる。予防や対応として、@についての詳細は次回にまわすとして、一般的な老化予防が有効である。Aについてはドクターとの連携が不可欠である。しかし、私もよく相談を受けるのだが、その状態(動きが鈍くなる、疲れやすい、作業能力や日常生活能力が低下する、よく休むなど)が医療的ケアを必要としているかどうかの判断が難しい。本人の訴えや様子とじっくりつき合って、その上で嘱託医や主治医にまず相談してもらうことが多い。特定の疾患ではないと診断されても、経過は見守っていきたい。Bについては、常にスタッフが取り組んでいることである。人間関係や生活環境の調整、ストレスによる不安や緊張を取り除いたり、回避するだけでなく、ストレスに対する耐性を高めるために、本人が楽しめる好きな活動を積極的に取り入れるなど、メンタルヘルス支援が現場のスタッフの大きな仕事になっている。
 退行の原因として、上記のAとBだけでなく、実は@老化とA病気の線引きも困難で、同時にB心理的落ちこみがからむことも多い。一見怠慢な状態であっても、支援者は本人にとっての困難さに共感しつつ、時間をかけて向き合っていくことが要求される。人生は常に右肩上がりではないことを肝に銘じていこう。




ピープルファーストジャパンをやめて

ぼくたちは、今年の1月27日に、ピープルファーストジャパンの会議で、ジャパンをやめてきました。その時に出した手紙をのせます。


ぼくたちは、全国で なかまどおし たすけあって、ピープルファーストの力を 大きくしたいと思って 今まで がんばってきました。ジャパンが できるときも ジャパンで がんばったら、当事者の力が大きくなって 事件や 入所施設が なくなっていくと 思って、事務局を やりたいと 思いました。ジャパンでも、いろいろありました。けんかが おおくて こまったけど、それでも なんとかしなあかんと 思って がんばってきました。でも、去年の5月に 東京に 行ったら、 役員の人たちにかこまれて もんくを いわれました。 なかまどおしで なんでこんなに いわれなあかんのか ショックでした。今まで がんばってきたのに、 くやしかった。 その後の5月の会議で、ぼくたちは やめます と言いました。でも、支援者が でていって、当事者だけで 話をしたとき、みんながぼくたちの 気持ちを わかってくれて、うれしかった。はげまされて、また つづけようかなと 思いました。でも、やっぱり ジャパンは ちがうなと 思っていました。会議が ながくて むずかしくて、当事者が わかってないのに話が すすんで いました。新潟大会の前日の会議で、こうしたら 当事者が わかりやすいとおもって ぼくが 意見を いったら 支援者に もんくを言われました。支援者が おこったら 当事者は なにも言えなくなります。今のジャパンは、本当に 当事者が やりたいことなのかなと思う。やらなあかん、やらなあかん ばっかりで、当事者は つかれてると思います。ぼくたちは だんだん つかれてきました。 会議に でるのも しんどく なって きました。ぼくたちは、みんなが もっと わかるような ピープルファーストをやっていきたい。みんなが「やりたいな」「でたいな」と 思うような会議ができる ピープルファーストを やっていきたいと 思っています。今のジャパンは、ぼくたちには むいてないと 思っています。もう これ以上、ジャパンを つづけることは できません。だから 無責任だけど、今日で 事務局を やめます。


この手紙を他の仲間にもつたえると、「やめないでほしい」「いっしょにやろう」「やめてよかった」「これからどうするの?」と、いろいろなことを言われました。ぼくたちは、ピープルファーストをやめません。でもこれからのことは、みんなにいろんなことを言われて、まよっています。自分たちがどんなことをやりたいのか、今じっくり考えているので、ちょっとまってください。そして、みなさん、これからもおうえんしてください。(生田進、梅原義教)




再び「差別語」と「差別表現」を考える 1

『ピノキオの冒険』

        楠敏雄

 最近よく「商品の差別化」という言葉を耳にします。「差別問題」に長い間、葛藤してきた私には思わずドッキリとさせられる表現です。
 1970年代に大きな社会問題として論議を呼んだ物語のひとつに『ピノキオの冒険』があります。皆さんも小さいころに一度は読まれたことがあると思いますし、その童話がなぜそんな大きな問題になったのかわからないと思われる人も多いと思います。大工のおじいさんの作った木の人形が、さまざまの誘惑を乗り越えてついに立派な人間の子どもになるというストーリーなのですから、それだけを見る限り何の問題も感じないのは当然でしょう。実際いま日本で翻訳され出版されている『ピノキオの冒険』には表現上は特に目立った問題は見あたりません。
 ところが19世紀にイタリアのコロッディという作家が書いた原作や1970年代までにいくつかの出版社から出された翻訳では、この木の人形を誘惑するために登場する動物が「びっこのきつねとめくらのねこ」と記述されており、しかもこの2匹は実は「びっことめくら」のフリをしていて、ピノキオの同情を引いて悪の道へ引き込もうとしているのです。しかし、ピノキオはなんとかそれらの誘惑を乗り越えて本物の人間の子どもへと成長し、それと反対にキツネとネコは神の罰を受けて本物の「びっことめくら」になってしまうという結末です。この物語について差別に反対する立場の人々はこの童話が単に差別的な表現を用いているだけでなく、「悪いことをすれば神の罰を受けて障害者になる」といった誤った障害者観を含んでおり、これをそのまま子どもたちに読み聞かせるのは非常に危険だと主張し、出版社に回収を求めたのです。
 他方、「表現の自由」を主張する人たちはこの作品を「子どもに夢を与える古典的名作」と評価し、それを禁止しようとする運動に対して「表現の自由を奪うもの」と反論しました。この種の論争は部落差別を扱った島崎藤村の『破壊』や童話『ちびくろサンボの冒険』などをめぐっても激しく展開され出版界やマスコミ界も巻き込んで今なお論議が継続されています。(つづく)
posted by パンジー at 20:05 | パンジーだより

2006-02-01

パンジーだよりNo.59

特集:地域移行・当事者支援・地域生活について

新年明けましておめでとうございます。
しかし、多くの当事者の大反対を押し切って成立してしまった障害者自立支援法のことを考えると、おめでたい気分じゃなくなります。4月からの費用負担は・・。みんなの中ですっかり生活の一部になっているガイドヘルプは・・。当事者の声を無視し、地域での自立生活を脅かす法律に不安は募るばかり。それでも積み上げてきたものを後退させるわけにはいきません。どんな状況になってもポジティブに闘っていこう。今年もどうぞよろしくお願いします。
さてそんな中、昨年11月には楽しい出来事もありました。夏の韓国の人たちとの交流に続いての国際交流。スウェーデンとオランダ、オーストラリアから当事者、支援者9人が来日し、11月3日(祝)に東京の立教大学で開催された「地域移行・本人支援・地域生活支援東京国際フォーラム」に始まり、「ピープルファースト大会IN新潟」、そして次の週にはパンジーでの意見交換会と、約1週間を一緒に過ごし、交流を深めました。
スウェーデンから来たマーリンとジェーンは以前パンジーからスウェーデンの研修で出会った人たちで、グルンデン協会の理事として活動している当事者です。「当事者が理事になって職員を雇ってる!」「あんなふうにやってみたい!」グルンデンの研修で受けた衝撃は、その後のパンジーに大きな影響を与えた。研修に参加していた当事者の生田さん、梅原さんは法人理事になりました。
当事者で作る「かえる会」は、パンジー内で起こるさまざまなことについて職員に提起し、毎年職員の面接を行っています。態度を改めない介護者に辞めてもらう話もしてきました。職員が「かえる会」の判断を仰ぐことも多くなってきました。パンジーは変わったのかな・・? 日常をふり返ると、当事者は知らなくて職員が知っていることがたくさんあります。職員の力はまだまだ強いのが現状です。「システムを変えない限り当事者と支援者の関係は変わらない」と支援者のアンデシュは言います。スウェーデンの研修から5年目。スウェーデンやオランダの人たちの話を聞くと、お互いに影響を及ぼしながら対等な関係を作っているように思えました。パンジーが変わっていくために、これから何をしていけばいいのかを改めて考える機会になりました。今年もパンジーはさらに変わります。  (たき)




スウェーデン・オランダのしょうがい当事者活動の今

立教大学教授  河東田博

 今回招へいしたスウェーデンやオランダでは、入所施設を解体しているか、その方向に向かっている。地域生活を送る上で必要な住まい・日中活動・余暇支援などの質も非常に高い。そのような社会政策を実現できるようになったのは、しょうがい当事者の働きかけがとても大きかったからだと言われている。中でもスウェーデンのグルンデン協会(みんなんで力をあわせよう会)とオランダのLFB(みんなでオランダを変えよう会)は、とても大きな役割を果たしてきた。この2つの団体は、しょうがい当事者が理事会を構成し、しょうがい当事者が現場の要職を担っているというところに大きな特徴がある。
スウェーデンのグルンデン協会は地方都市の一組織に過ぎないが、ピープル・ファーストのような全国組織を作ろうと準備をし始めている。まもなく全国組織が立ち上がろうとしているが、その時には代表と事務局を引き受ける予定である。オランダのLFBはピープル・ファースト型全国組織で、国庫補助金や地方自治体からの補助金を受け、地方支部作りに精を出している。各地方支部では、ピア・ソーシャル・ワーカーやピア・サポーターとしてしょうがい当事者が活躍をしている。この2つの団体が中心となって、ピープル・ファースト・ヨーロッパを作ろうとしている(日本が中心となって、アジアにも同様の組織を作ってほしいと願っているようだ)。
 今回スウェーデンから来てくれたのは、グルンデン協会理事の2人、マーリンさんとジェーンさん(支援者のアンデシュさんとアンキさんが同行)。オランダから来てくれたのは、LFB所長のウイリアムさん、地方事務所長のヴィレムさん(支援者のロールさん、リッチェさんが同行)。2つの国、団体から来られたこの4人の人たちは、各種講演で、仲間に対してはしょうがい当事者が自ら組織の理事や代表になり、あらゆる政策決定プロセスに参加をしていくことの大切さを、支援者に対してはしょうがい当事者の力を信じまかせることの大切さを強調していた。また、4人の支援者たちは、心で考え、しょうがい当事者と共通の価値観を作っていくことの大切さを訴えていた。




元気の出る支援を!!
11月3日(木)、立教大学池袋キャンパスにて

「みて、きいて、はなしあおう、元気の出る話――地域移行・本人支援・地域生活支援東京フォーラム」が開かれた。常々お世話になっている同大学教授の河東田博先生より「海外の当事者を呼んでシンポジウムを開く。日本からも当事者活動を積極的に進めている人々にエンパワメントの分科会をして欲しいと考えている。パンジーのかえる会のメンバーも一緒にしませんか」と誘いがあり、ピープルファースト大会も間近な強行日程の中、当事者・支援者合わせて二十数名が参加した。
 参加した分科会「本人活動とエンパワメント」では、午前中にスウェーデン、オランダ、日本各国の当事者活動の様子が報告され、午後からは、どうしたら元気が出るかをテーマに活発に意見交換が行われた。パンジーの「元気が出る話」も元気いっぱい行われた。
 各国からの報告には、スウェーデン「年金に頼らない、給料のもらえる本当の仕事を増やしたい」、オランダ「腹話術をしていた(他人の言いなりに発言していた)。今は自分で決めている。自分でやり、責任を果たすことが大事」、日本「支援者中心から当事者中心へ。職員だけで決めるな」等、各国の特色、現在の状況、注目されているテーマが感じられる内容だった。どの国も難しさを抱えつつ、元気の出る日々が過ごせるよう、真剣に向き合っているように感じた。
 午後からの意見交換では、それらの難しさを理屈でなく吹き飛ばしてしまうような、勢いの良い発言が連発され、当事者の「パワー」を強く印象づけられるひとときだった。
司会の中山さんの「支援者の皆さんには、当事者が元気で活動できるために、どのような支援をしたらいいのか考えて欲しいと思います」との言葉に対し、「支援者も元気がないとなぁ」と、疲れ気味の支援者は基本から反省させられるしだいであった。 (金森)




スウェーデン・オランダ・オーストラリアの人たちとの交流      

 スウェーデン・オランダ・オーストラリアの当事者4人、支援者5人がパンジーに来た。4人の当事者はそれぞれの職場で理事や所長として働いている。ザ☆ハート・パンジー・パンジーU・グループホームを見学した後、当事者と支援者に分かれて意見交換をし、最後はみんなで日本料理屋で交流会。
私は当事者の会議に支援者として参加した。ピープルファースト大会の話になり、梅原さんが「支援者ばっかりがしゃべっているから、どうすればいいのかなと思う」と言うと、グルンデンの理事をしているウィリアムは「当事者は会議に参加している自覚を持ち、支援者はサポートしている自覚を持つ。それが出来ない支援者は、しっかりした支援者ではないから辞めさせる」と言う。
日本では、この事を当事者も支援者も頭ではわかっているのだが、実践するとなるとなぜか難しくなる。しかし、そうするべきだとスパッリと言い切った彼らは実践しているし、あたりまえのことを、あたりまえに発言する。当事者のエンパワメントにつながっているのだろうと感じた。
 スウェーデンのグルンデン協会でもオランダのLFBでも、支援者のことをコーチと呼ぶ。グルンデン協会のマーリンが答えてくれた。「支援者は何を当事者にする人なのか、私たちはどういった支援を望むのか、そしてどう呼ぶか。時間をかけて、何度も当事者間や当事者・支援者を交えた場で話し合ってきた。支援者は常に私たちの側にいる必要はない。私たちの事は私たちで決める。私たちが困っているとき、助言をしてくれればよいと考えた」という。だからコーチなのだ。
 スウェーデン、オランダの当事者との交流での衝撃は大きく、支援者として考えさせられることが多かった。もっと書きたいのだが今回はこの辺で・・・・(西野)




おしゃれで決める! 知的しょうがいを持つ人たちのファッションショー

2005年10月3日(月)に、「おしゃれで決める! 知的しょうがいを持つ人たちのファッションショー」をしました。今年で3回目になるショーには、知的しょうがいを持つモデル41名が参加しました。そして、約150人の人たちがショーを見にきてくれました。
 今年のショーは昨年ショーにでた野村信久さんが実行委員長になって、どんなショーにするかを、当事者と支援者で話し合いながら決めていきました。
 美容師・理容師の方、メイクアップアーティスト、専門学校の生徒さんたち、カメラマン、服をリフォームしてくれる人、ミュージシャンなど、80名の人たちがショーに協力してくれました。
このショーはトヨタ財団より助成金を受けることができました。スタイリング剤やカメラの貸し出し、パーティを盛り上げる日本酒の提供など、いろんな企業の方々も協力してくれました。

★じっこういいんちょうより
「ぼくは、去年のファッションショーに参加しました。去年のファッションショーは、とてもよかったです。今年のファッションショーも、よいショーができるよう、がんばってきました。会議で、司会などはたいへんだったけど、去年出て、自信がつきました。みんながおしゃれに決めれたらいい」(野村信久)
★モデルの感想
・モデルになってみて、はじめてだったので緊張した。レースの服をはじめてきることができたので、うれしかった。
・はじめてで、不安だったけど、ステージに出て、ポーズをとれてうれしかったです。また来年も出たいと思います。
・ メイクがかっこよくできたし、髪型を決めれた。おしゃれにできてよかった。

★お客さんの感想
・みんなきれいだった。来年は出てみたい。
・おもしろかった。モデルさん、かっこよかった。
・モデルさん一人一人がとても輝いていて、本当に良いショーだった。

★手伝ってくれたボランティアより・・・
・年出会えたモデルさんとも再会でき、今年も新しく、交流ができてよかった。回を重ねるごとに、華やかなショーになっていると思うので、もっともっと、たくさんの方にみてほしい。
・モデルさんの生き生きとした姿や、メイクをされた後の嬉しそうな顔や、喜んでもらえている姿を見ると、とてもうれしかった。
・心が温かくなって、いい体験ができた。ショーをみた時は感動的だった。




人に対する安心感 
中新井 澪子

 新年号はいつも「ちょっといい話」だが、今回は「ちょっとよくて、ちょっと困る話」かもしれない。でも考えてみれば、これが当り前で、「いい話」ばかりというのはめったにないものである。
 パンジーでは、嘱託医のすすめもあって、頻繁に身体の不調を訴えるSさんと面接を継続している。 私「2週間ぶりですね。身体の調子はいかがですか」 S「良い時と悪い時がある」 私「それは良かった!」 S「なんで?」 私「調子が良いと思う時があるのはすばらしい」 S「そうなん」
 パンジーには2週間に1日しか顔を出さない上に、Sさんとは仕事の部屋が異なることもあって、私は日常の彼の大変さをほとんど知らない。このことは、カウンセリング場面では好都合で、彼が自分自身に感じる良い感情を大きくとり上げて、Sさんと話が出来るからである。カウンセリングはまだ始まったばかりなので、今回は、やはりタマにしか会わないTさんのことを話そうと思う。
 Tさんも最近変り始めている。明らかに以前のTさんとは違うと周りのスタッフも言っている。そのことに本人は気がついているのだろうか、一度ゆっくり話を聞いてみたいと思っている人である。
 私の知る限り、以前のTさんは仕事を淡々とこなしていた。生活の場でも、支援者の関わりをあまり求めず、一人で行動することを好んだ。周りの支援を干渉や束縛と感じているようにも思えた。そんな中で問題となる行動が何度もおきていた。
 半年ぐらい前に、Tさんは自分の意志で施設内での仕事の場を変えた。その新しい部門で作業をしながら彼は、他のメンバーと一緒にいるスタッフの名を何度も呼び、自分が今気になっていることをくり返して話している。スタッフはTさんはこんなに執つこかったかなと感じたという。一方で、自分で動けないメンバーをまるで子どもをあやすようにしてよく世話をする光景にも私は驚いた。また、休みの日や夜の時間にもスタッフに会いに行ってもよいかと交渉したりもしている。時には駄々っ子のように要求することもあって、スタッフは戸惑っているが、Tさんの問題行動は影をひそめている。
 パンジー(パンジーUも)は仕事の場であるが、とても受容的雰囲気をもっている。それは、人との関係の中で支配される怖れに対しても、逃げたり抑えたりするのではなく、安心してありのままの自分を出すことを可能にするものである。人との関係の中で自分が受け容れられ、認められている実感が、人と一緒にいる快よさと依存要求をTさんにもたらしているように思える。自分をありのままに出せる場をTさんは自分で見つけたのだが、それを受けとめるには、スタッフも相当なエネルギーを費すので簡単ではない。何とかチームワークで支援を続けてほしい。
 Tさんのように日常的な生活支援より精神的支援が必要なメンバーも少なくない。人との共同世界の構築途上にいる当事者だけでなく、一度作り上げた共同世界に居心地の悪さ(排除や支配への不安や怖れ)を感じている人に対しても、「他人との関係の中で自分は安全で、受け容れられ、存在を認められている」ということの保証が何よりの精神的支援だと思う。そしてそれが「人に対する安心感」であり、困った時に彼らが躊躇なく人に依存できるかどうかが、その目安になっているような気がする。
 (参考:滝川一廣−こころの本質とは何か−)




大切にしてきたものを見失うことなく、着実な活動を展開したい

林 淑美

秋から年末にかけて、実にたくさんの活動をこなした。目からうろこの気づきをもらったり、思わず気持ちが引き締まったりした。その感覚を定着させるために、じっくり読もうと積んだ資料の類は、未だに積まれたままである。
そんな状態ではあるが、特に印象に残った事を2つ紹介したい。
 1つは、スウェーデンのグルンデン協会とオランダのLFBの人たちの来日である。両団体とも、団体の代表に知的障害を持つ当事者が就いており、支援者は、当事者に雇用されている。パンジーに来られ、10日間ほどの滞在で感じた事や、当事者と支援者の関係について話し合った。LFBの代表であるウイリアムは、「当事者の人たちは、もっともっと自分たちの人生について、そして、社会で起きている事について話しあって欲しい。そして、支援者は当事者が困っている時に助けてくれ、難しいところを一緒に考えてくれる支援者であって欲しい」と語った。グルンデン協会支援者のアンデシュは「いつも、変化をもたらすのは当事者だ。支援者は結論を出す存在ではない。支援者は物事を複雑にしている。迷いは毎日のようにあるが、頭だけでなく心で考える事が必要だ。そして、当事者と一緒に語り、共通の価値観を持つ事が大切だ」と語り、3時間ほどの話し合いを結んだ。
もう1つは、「俺ルール。自閉は急にとまれない」のタイトルで講演をお願いしたニキリンコさんである。夕食のメニューや運動会の日程は絶対変わるはずがないと思っていた事や、クラスメートは学校の備品だと思っていた事など、自らの体験と、なぜそう考えたかを、ニキさん流のルールに照らし合わせて語ってくれた。そして、「それぞれの行動にはこだわりのルーツがある。しかし、ほとんどが他愛のないもので、浅い理由である。それを解いていくのを楽しんで下さい」と語った。
以上の2つは、法人が設立以来大切にしてきたもの(知的障害を持つ人たちが地域でその人らしくくらすのを支援する事と、それを支援できる職員を育てる事)と、見事に一致する。
一方で、障害者自立支援法が10月31日成立した。その後、具体的な内容が見えてきつつある。それらをパンジーの活動に落としこんだ時、効率を最優先にした危うい現実が見えてくる。このような時期だからこそ、大切にしてきたものを見失うことなく、着実な活動を展開していきたいと思う。
新年にあたって、凛とした気持ちである。




『センス=オブ=ワンダー』(レイチェル=カーソン著)がつたえてくれるもの

橋本義郎(はしもと よしろう)
             大学教員・吉野郡川上村で「水源地の森」の案内人の見習中

「森の苔をのぞいて見ると、そのながめは、熱帯の深いジャングルのようです。苔のなかをはいまわる虫たちは、うっそうと茂る奇妙な形をした大木のあいだをうろつくトラのように見えます。」
「いろんな木の芽や花の蕾、咲きほこる花、それから小さな生きものたちを虫めがねで拡大すると、思いがけない美しさや複雑なつくりを発見できます。それを見ていると、いつしかわたしたちは、人間サイズの尺度の枠から解き放たれていくのです。」
 生命に満ちあふれた「生きた自然」、レイチェル自身の中の自然と共鳴する本物の自然の世界を、ロジャー(レイチャルの姪の息子)と共に、全身で感じ味わう体験を綴った、私には詩のように感じられるエッセイだ。その魅力は自前の言葉ではどうにも伝えきれないので、さらに引用する。
「いろいろなにおいが混じりあった海辺の空気につつまれていると、海藻や魚、おかしな形をしていたり不思議な習性をもっている海の生きものたち、規則正しく満ち干をくりかえす潮、そして干潟の泥の岩の上の塩の結晶などが驚くほど鮮明に思い出されるのです。」
「雷のとどろき、風の声、波のくずれる音や小川のせせらぎなど、地球が奏でる音」
「あらゆる生きものたちの声にも耳をかたむけてみましょう。子どもたちが、春の夜明けの小鳥たちのコーラスにまったく気がつかないままで大人になってしまわないようにと、心から願っています。」
 さて、私はどうか。あなたはいかがですか。「生きた自然」に気づいているだろうか。その魅力を知っているだろうか。それなくして自分が生きるための水も食物も得られないことを本当に自覚し、「生きた自然」を愛しんでいるだろうか。
「ディズニーランド」には川や滝や森があると聞く。そこを流れる水はどこからどこに流れているのか。“流れ”の原動力は何か。“滝”の音は自然?“森”の木はどうか。「ディズニーランドの“自然”」は、原子力などによる発電や燃料または原料としての石油に多大に依存し、「本物の自然」を食いつぶしつつかたちづくられている。
自身の内と外の自然を見失い、その求めを無視あるいは軽視し、人工的な“楽しさ”や“快適さ”や“便利さ”を節度こえて追求するところは私にもある。それでも「ディズニーランド」的“自然”、張りぼての“自然”にはだまされない感性はまだ生きている。ささやかではあるが「生きた自然」とのつきあいを続けているおかげで、赤ちゃんのときからの「センス=オブ=ワンダー」つまり「自然に湧き出る、自然の好奇心」がまだ生きているからだ。それを満足させてくれるのは「生きた自然」のみ。内と外の「生きた自然」。
レイチェルは、この「生きた自然」の魅力と大切さを、芸術感覚と科学者としての自然に対する見識、そしてジャーナリストとしての「わかりやすく」書く力のハーモニーによってとらえた。それを『センス=オブ=ワンダー』とし、私の大好きな森や川や山や海の「におい」と「感触」と「音」と「色」と「形」と「味」を生き生きとつたえ、彼女と共に味あわせてくれている。

[レイチェル=カーソン著(上遠恵子訳)『センス・オブ・ワンダー』新潮出版、1996年(定価:本体1400円)]
posted by パンジー at 20:18 | パンジーだより

2005-12-01

パンジーだよりNo.58

特集知的障害を持つ人たちのエンパワメント

11月5〜6日新潟で第12回ピープルファースト全国大会が開催された。それに先立ち11月3日に「地域移行・本人支援・地域生活支援東京国際フォーラム」が行われ、かえる会が「当事者のエンパワメント」分科会を担当した。フォーラムとピープルファースト大会には海外ゲストとしてスウェーデンのグルンデン協会、オランダのLFBから当事者と支援者が来日した。当事者活動の先駆的実践が紹介され、熱い交流が行われた。(この報告は次号)
一方、矛盾だらけの「自立支援法」が強行成立した。障害者の地域生活は今後どうなっていくのか…。この展望はまさに当事者のエンパワメントにかかっていると言えるのではないだろうか。スウェーデンやオランダの当事者達は国やシステムの違いはあれ、当事者が支援者を雇用し、様々な失敗から学びながら自分の望む生活を実現し、社会に対して権利主張を続けている。日本のピープルファースト運動もアメリカやヨーロッパの当事者運動から多くの衝撃を受け、育成会運動とは分岐した当事者運動を10年以上展開してきた。
 「自立支援法」で何がどう変わるのか、依然不透明である。しかし、国際的にも、日本においても知的障害を持つ当事者達がパワフルな成長を続けていることは明白だ。その力がどのような形で制度・政策に結実していくのか、それは障害者運動だけではなくあらゆる市民運動の抱えている課題ではないだろうか。今はただ、当事者が親・行政・施設職員・支援者の思惑を越えた「本当の想い」を主張し続ければ、必ずそれは実現するのだということを信じたい。
 さて、今号では「コミュニケーションの難しい人たちのワークショップ」も特集する。生駒で行ってきたワークショップから○年ぶりだ。ここでは自閉症や重い障害を持つ人たちが経験を重ね成長してきた姿、それを支え共に成長しようとしてきた取り組みを紹介したい。石神先生・中新井先生と親、支援者の懇親会では、悪戦苦闘してきた親の苦労をみんなで労いながら、成長してきた子供の姿を確認した。そして今なお続く「困難な状況」を焦らず、楽しく乗り越えていくひとつの活力になったのではないだろうか。
 遙か遠くの目標をめざすのではなく、一歩一歩進んできた今を大切にし、わくわくしながら次のステップをさあ踏みだしましょう!




コミュニケーションの難しい人たちのワークショップ

2005年9月14日〜15日に神戸しあわせの村で、当事者・保護者・支援者のワークショップを開催しました。このワークショップは、パンジーが始まって3年目の1996年から3年間、毎年開催してきたものです。いわゆる自閉的傾向のある人や、コミュニケーションの難しい人への関わりについて学ぶこと、彼等、彼女達の経験を増やすこと、支援者が関わりについて学ぶことを目的にしていました。本紙でもおなじみの中新井先生にスーパーバイザーで参加していただき、いつもより深いつきあいをする中で、コミュニケーションの取り方を学んだり、相手のことを知ることのできる大切な場でした。保護者の方にとっても夕食をとりながら中新井先生との懇談は、楽しみになっていました。
当事者も支援者も共に旅行やショートステイなどの経験を積む機会が多くなってきた中で開催を見送っていたのですが、7年ぶりに再開することになりました。
参加者は当事者15名、保護者7名、支援者18名。そして、スーパーバイザーは、パンジーの嘱託医である石神亙先生と、中新井先生です。2人には当事者・支援者の様子を見たり、保護者との歓談会、支援者のミーティングに参加して頂きました。
当事者と支援者は、一対一でつきあいながらプール、温泉、翌日は散策、昼食はバーベキューというプログラムを楽しみました。保護者は、夕食時に当事者と支援者の様子を見た後で懇談会に参加しました。
人に対して緊張の強い当事者が、初めて関わる支援者に身体をゆだねてプールで楽しんでいる様子や、体を動かすのが苦手な当事者がアスレチックで急な山を支援者と協力して登っていくのをみて、私は感動しました。パンジーが、授産活動や外出活動ショートステイ等の中で当事者が経験を積む支援を大切にしてきた結果だと思いました。
また、参加した支援者の多くはパンジーに関わって1〜2年の経験の浅い人たちでした。当事者と関わることの喜びや、難しさ、そして関わる側の責任を再確認しました。短い時間でしたが、バーベキューを終わる頃には関係性の元ができているように見え、ワークショップの成功を感じました。    (見舘)




ワークショップに参加して
               嘱託医  石 神  亙 (精神科)

 2000年の夏から、毎年一度はパンジーを訪問して、本人さん、家族、担当職員のご相談に応じ、そのあと職員さんとのミーティングで情報を交換するのを楽しみにしてきました。その上で必要があれば、遠く高槻の診療所に来ていただいたりもしています。2004年度からは、創思苑との嘱託契約を結ぶことになり、その繋がりがいっそう強まりました。今までは、休日を使って、個人的に行っていましたが、今は、出張という形で行かせてもらっています。
 「嘱託医を引き受けたのだから、もう少し何かお役に立てないか」と思っていたところに、ワークショップ参加のお誘いを受け、「宿泊は無理ですが・・」と初めての参加となりました。神戸の「しあわせの村」を見たいというのも動機のひとつでした。
9月14日の夕食前に着くと、早速、お母さんたちに誘われて、日本庭園散策などと、思いもかけないロマンチックなスタートとなりました。宿泊棟を見せていただいたあと、みなさんと合流しての夕食会になりましたが、参加者の人達が、それぞれに、こだわりなどを持ちながら、それでも介助の方たちと、楽しく、美味しそうに食べておられるのを見て、何故かすっかり感動してしまいました。
 夜の話し合いは、圧巻でした。何れも人後に堕ちないツワモノどもを、ここまで育て上げてきた親御さん達の明るさというか、胆のすわり具合。これは、個々のお母さんたちの人間的な魅力に裏打ちされた、わが子への思い、親仲間の連帯感。それに加えて、親子を支え、見守って来た人たちの力があったればこそのものだと感じました。私は、迂闊にも「来年も元気だったら参加します。」と宣言してしまいました。
このような場に参加することは、医者をはじめ、専門職を目指す者にとって、貴重な経験になると確信します。有難うございました。そして今後もよろしくお願いします。




私はパンジーで働くようになって、2年半になりますが、当事者と関わる中で戸惑うことや、これでいいのかと悩むことがあります。今回初めてのワークショップ参加で、当事者より私のほうがドキドキしていたかもしれません。
ワークショップでは、当事者と職員が1対1でじっくり付き合いました。その中で、Nさんがすべり台を好きだったり、Jさんがお風呂好きだったり、Yさんがアスレチックを好きだったり…。普段のパンジーでは見られない姿を見ることができました。
他の職員が当事者への情報提供を工夫しているのもなるほどなと思いました。例えば、携帯電話で写真を撮って見せていたり、メモに時間を書いて渡していたり。口で言うだけでなく、目からの情報を伝えると、当事者の人たちにはより分かりやすいようでした。
団体行動をする中での関わりも勉強になりました。当事者と支援者がグループから離れた時、職員が「みんなと一緒に行動できるようにしましょう」と声を掛けました。好きなことをするだけでなく、他の人のペースに合わせて行動することも必要だと受け止めました。団体で行動できるようになることは、視野が広がり、社会生活をする上でのルールが守れるようになったりと、今後の生活の中で大事な事だと思いました。支援者は当事者のペースに合わせて動くだけではなく、いろんな視点を持って関わらないといけないことを実感することができました。 (田中)




ワークショップに参加して〜保護者の立場より〜
三村明美

 ワークショップの意味もわからず石神先生と中新井さんのお話が聞きたくて参加しました。息子の伸雄がパンジーに通所するようになり、早いもので4年目になります。この間にはいろいろなことがあり、ご迷惑をかけましたが、回りの人々の配慮で今日に至っています。常に手探りの状態で、1日の無事を願う毎日ですので、伸雄の将来が不安でした。ただ漠然と伸雄が30歳になるまでにグループホームで自立できたらいいなあと思っていました。
 石神先生が「母子分離について、当事者が親に求めることと他人に求めることは違う。親・家族以外の人の支援を得て生活していくことが当事者の自信にもなっていく」と話されました。私は伸雄が自立するには、私のかかわりが必要だと思っていました。無理だと思いながら他人にもそれを求めていました。石神先生の話を聞いて反省しました。“もっと伸雄を信頼しなければ”“伸雄を認めてやらなければ”と。
 他のお母さんの悩みにも共感しました。有意義なひとときでした。また機会があれば参加したいです。




人に対する安心感W
中新井 澪子

 パンジーに来るようになってもう10年近くになる。その間、創思苑の日中活動の場が拡大するとともに、私も多くの当事者と出逢ってきた。今秋より、デイサービス事業の場(これが元銭湯の脱衣場で、まだ番台なんかも残っていてオモシロイ)にも、参加することになった。2回目に出かけた時、なんと私のことを「れいこさん」と呼んで迎えてくれたメンバーがいた。60数年生きてきて、友人知人は多い方だと思うが、「れいこさん」と呼ぶ人はあまりいないので、とっても新鮮でうれしかった。パンジー(パンジーU)では、ほとんどが「なかあらいさん」。自閉症のQさんは、私の顔をみるとニコニコして「ナカアライ」と唱える。中には大声で「おばちゃん!」(「おばあちゃん」でなくて良かった)と呼ぶとってもフレンドリーな人もいて、スタッフは恐縮しているが、私は結構楽しんでいる。今回登場するRさんは、メンバーの中では数少ない「なかあらいせんせい」と呼ぶ女性である。
 先日、久々にRさんのお母さんが相談に来られた。数年前、彼女が不安定になって親子関係がこじれた時に話をして以来だ。「あの時に比べたら大した問題ではないのだが」と前置きしながら、家でRさんとなごやかに会話している時、突然機嫌が悪くなったり、急に怒り出したりする。親にだけならいいのだが、彼女のことをよく知らないヘルパーやメンバーさんともそんなことがあると、嫌われるのではと心配しておられる。
 Rさんは、まじめでりちぎで頑張り屋である。私は話をしていてお母さんにも同じような印象をうける。親子だからということ以上に、Rさんがお母さんから学んできたことが大きいように思う。○○でなければならないといった行動基準や知らないこと出来ないことは恥しいと思う感情など、彼女のこころのアンテナは常に緊張状態だった。「しんどい時は少し休んだ方がいいよ」など言うと、「仕事だから頑張らないといけないんです!」とムキになって反論した。物事を柔軟に考えたり、他者に依存したりすることの苦手なRさんにとって、パンジーの考え方、多くのヘルパーやメンバーの各々の行動基準に出逢った時、彼女が持った不安、怖れ、葛藤はかなりのものだったにちがいない。「共同性のなかで自分は真に安全なのか、のおそれ」を感じたことだろう。被害性や攻撃性が見られたこともあったが、今は自分の気持ちを言葉で相手に伝えるようになったので、大きな問題行動は見られない。
 彼女の知らない物の名前や抽象的な言葉を私が使った時、「そんなんワタシの知らんこと言わんといて」とそれまでのにこやかな表情が一変する。肥満傾向のメンバーが水泳プログラムに参加しないのは間違っていると批難するので、「水泳活動はダイエットのためだけではないしね」と言った途端に急に不安がり、「そんなこと言われたら、ワタシどうしたらよいか分からなくなる。ワタシはダイエットによいと言われたからやっているのに」と泣きそうな顔をする。確かに感情の起伏に戸惑うことはあるが、私の言葉にRさん自身も動揺していることもよく理解できて、今ではお互いの安心感につながっている。
 彼女に最初にあった時から、私のことを「せんせい」と呼んだのは、何らかの意味を持っていたのかもしれない。親や、「せんせい」は頼りになる反面、のみこまれてしまう怖れを持った存在である。




言葉に依存しないコミュニケーション
林 淑美

 「メラビアンの法則」をご存じだろうか。その法則によるとコミュニケーションにおける相手へのインパクトの度合いは、表情やしぐさが55%、声の調子が38%で、言葉の意味は7%に過ぎないそうだ。この法則を識った時、「やっぱり人間は言葉ではないのだ!」と思いながらも、なかなか実感できずにいた。それが、この秋、「人間は言葉ではない」ということを経験する場面があった。
 1つは、「コミュニケーションの困難な人のワークショップ」での事である。このワークショップは、主に自閉的傾向のある人が経験を増やし自信を持つこと、経験の少ない支援者が良い関わりができることを目標としている。最初は、パンジーができて数年しか経っておらず、当事者も支援者も経験が少なかった。そのため、ワークショップ会場に事前に訪れるなど、緊張せずに参加できる工夫をした。それでも、一人で参加できず、親子で参加する人もいた。
 今年、何年かぶりに再開をした。そして、先輩達がとても頼もしくなっているのを発見した。1人1人が自分流の楽しみ方をしているのだ。新しい人たちも、時々不安や緊張をみせながらも、落ち着いて過ごせた。それには、言葉ではないが、先輩達の経験や自信に裏付けされた行動が、大きく影響していると思う。
 夕食後は、「背中合わせのハグ」を楽しんだ。背中をぴったりとくっつけて、呼吸を合わせる。すると、お互いの体温が伝わり、呼吸が一つになる。気持ちが良くて、いつまでもしていたかった。
 もう1つは、スウェーデンとオランダの人たちとの交流会での事である。当事者と支援者の30人ほどが、飲んでしゃべって、歌った。母国語、英語、日本語が飛び交った。きっと、通訳の人など一部の人を除いて、殆どの人は内容を理解していなかっただろう。それでも、理解し合えた気がした。みんなで歌った時は、共通の言語で歌っているような不思議な感覚があった。たくさんの元気をもらった。
 知的障害を持つ人たちと関わってきて、言葉に依存しないコミュニケーションは、これまでもやってきていることなのだが、「メラビアンの法則」手がかりに捉え直してみると、とても興味深かった。そして、よりよい関係を築くために、もっともっとコミュニケートしようと思う。




「自立支援法」は通っても私たちの戦いは終わらない
楠敏雄

 すでに承知のように、政府厚生労働省及び自民公明党の与党は、10月31日に「障害者自立支援法」を数の力で強引に衆議院を通過させた。昨年4月に突然持ち出された障害者施策の介護保険への統合、同じく昨年10月に出された「改革のグランドデザイン」、それに続いて今年1月に国会に提出された「障害者自立支援法」など、厚生労働省のこの間の一連の施策は自立と社会参加を求める私たちの期待を大きく裏切るものとなった。しかも日本の障害者運動史上かつてなかった異議申し立ての行動をむりやり押し切って強行された政策である。
 今回の「自立支援法体制」の元では、いうまでもなく障害者に対するサービスの量や時間単価、認定基準の決定手続き、さらには一部の例外を除いて、所得の乏しい障害者や家族でも一律に1割の「応益負担」を課することなど、どれをとっても障害者の自立を阻害する政策被害の何者でもない。
 たしかに法律は強引に通されてしまった。しかし、この1年半に渡る私たちの戦いは決して無駄ではなかったし、むしろ運動の盛り上がりという点では、私たちの戦いは大きく前進したと言って良い。当面私たちは「自立支援法」を具体化させるために厚生労働省が用意している200以上にものぼる政省令や施策矛盾の一つひとつを暴露追求し、それらの変更を迫るための交渉や抗議行動を粘り強く展開していく必要がある。第二にそうした中央レベルでの行動と平行して、各市町村に対し、支援費の元で前進しかけた施策を後退させないための取り組みや、障害者の自立支援を促進する施策の実施を、それぞれの地域のネットワークを構築しながら進めていくことが重要である。
 その一方で、障害者が真に地域で自立していくことができる新たな法制度を私たち自らが検討し、法案としてまとめ上げ、それを厚生労働省はもとより、各政党やマスコミのように積極的に提起し、宣伝していくことである。とりわけ「小さな政府」を掲げて福祉の切り捨てを積極的に進めてくる小泉政権に対し、幅広い人々と連携し、明確な批判勢力を作り出していく必要がある。
 私たちの戦いは、これからが第二ステージである。介護保険への安易な統合に引き込まれぬよう、‘Never give up!’
posted by パンジー at 20:32 | パンジーだより

2005-09-01

パンジーだよりNo.57

特集  韓国の人たちとの交流

 夏の始めに、パンジーでは3つのグループに分かれて旅行に行きました。ディズニーランド、万博&自然の中でゆったりコース、そして「韓国」です。
 韓国はパンジー旅行初めての海外旅行です。旅行会社からは「韓国はバリアフリーが遅れている」との情報がある中で、どういう旅になるのだろう、という不安をよそに、車いすの人も含めて、みんな元気に旅立っていきました。
 韓国から帰ってきた人たちの第一声は「ごはんがおいしかったわ!」。目当ての物が買えたとおみやげを見せてくれる人もいました。支援者は「(車いすの当事者と)毎晩飲みに行ってきた。行く? と聞いたら行くと言うんや。階段全部抱えて昇り降りした」と得意そう。当事者も支援者も新しいことにチャレンジし、自信につながっていく。パンジーのグループホームが毎年1件〜2件の割合で増えてきたのも、彼等のこういった姿勢が板についているからだとつくづく思いました。
 同時に「もっと韓国の文化に触れたかった」と不完全燃焼だった人もいました。パンジーの旅行では、「人との出会い」がテーマの一つになっています。韓国に行ったことで文化や人と触れあいたい、もっと知り合いたいという思いが強くなったのだと思います。
 そんな夏の終わりに、パンジーに思いがけないお客さんが訪れました。韓国で障害者の支援をしている人たちが見学に来られたのです。かえる会を見学したり、意見交流会をしたり。いろんな発見や楽しい体験がありました。韓国の人たちとの交流について、特集で紹介します。




今度は韓国の当事者に会いたい

韓国から支援者が見学に来る! かえる会への見学者は珍しくないことですが、外国のお客さんとなれば、みんな緊張ぎみです。「意見交換の時間はどのぐらい?」「新職員の面接に韓国の人に入ってもらうか?」等話し合っているとき、韓国の人たちが「アンニョンハセヨ」と入ってきました。こちらも「アンニョンハセヨ」。
まず、20分後に始まる当事者の職員面接に、韓国の人たちが入るかを話し合いました。「やりにくいから出てもらおう」「かえる会の活動として見てほしい」等々、まとまりそうもありません。「日本語わからへんから、おってもいいんちゃう?」の意見には「通訳がいてる!」とつっこみが入りました。韓国の人たちの意見を聞くと「見せてください」との答え。部屋の片隅で静かにする約束で、同席することになりました。
百人を超える職員を面接してきたかえる会の力を見てもらいたい。面接の質問に力が入ります。「○○さんにはちょっと難しいだろうけど、入所施設で事件が起きてること知ってますか?」「入所施設がどんなところか知ってますか?」「当事者に腹が立った時、自分を噛みしめられますか? 手を出したらあかん!」。等、矢継ぎ早に質問が続きました。言葉は通じなくても、意気込みは伝わったと思います。
休憩の後、自己紹介やかえる会の説明等、約1時間話し合いました。韓国の人たちから、次のような鋭い質問もありました。「議長、副議長を決めるのに条件はありますか?」「職員を辞めさせる権利はあるの?」「職員の人事権について問題は起こりませんか?」「職員の給料、人事についても考えているの?」等々。かえる会メンバーも少したじたじでした。
最後に、「韓国で、かえる会のような会はありますか?」と聞くと、「当事者が話し合う会はありますが、職員の面接はしていません」という答えでした。
「韓国の当事者も職員に面接できたらいい。最初は緊張するけど、気づかないうちに力がついて職員にはっきり言えるようになるから」が、かえる会メンバーの後日の感想です。 (山田)




「すてきな恋をするために」

 韓国の人たちの一番の目的は当事者へのセクシャリティ支援だという。8月11日「ハートブレイク思春期研究所」主催のワークショップ「すてきな恋をするために」が行われた。会場は銭湯を改装した「自立生活支援センターわくわく」だ。参加者は、主にパンジーの当事者と支援者、韓国の人たち。「何が始まるんだろう? 楽しみ!」という表情の当事者たち。軽快なギターの音と歌でワークショップが始まった。
 最初に「男性と女性の体の大切さの話」がある。フエルトで作られた模型を前に恥ずかしそうな当事者や、興味津々な人等さまざまだ。
 次に、話題は恋愛のことへ。昨年9月に結婚したIさんから「仲よくするコツ」が話されて場が和んだ。
 次に「いいな」と思う人にハートのクッションを渡すことになった。SさんがGさんにハートを渡しに行き、手をつないで歩くと、みんなから歓声があがった。2人とも嬉しそうだった。Gさんに聞くと「お母さんには内緒にしとく」とのこと。ちょっと頼もしい。
 韓国の女性めがけてハートを渡しに行ったNさん。さすが! デートでの会話のでは「星がきれいだね」「結婚しよう」等、見ている人もドキドキワクワク。早く順番が来ないかなとうずうずしている人たちがいて面白かった。
 参加者した当事者は「手をつないでみたい」「デートしてみたい」「ハートを渡せてよかった」と楽しそうだった。相手に気持ちを伝えることや伝えてもらうこと、触れあうことの心地よさをそれぞれに感じたことと思う。その感覚を素直に感じ大切にしてほしい。すてきな恋をするために。そして、私たちは、その過程を支援していきたい。   (にしお)




韓国の人たちとの意見交換会

 交流最終日は、パンジーの職員、ザ☆ハートの当事者との意見交換会が、河東田博さんの司会で進められました。三日間に伝えきれなかった日本の障害者福祉システムや、パンジーの理念とそれを実現するための組織、日頃の活動やそれぞれの部門の課題を話しました。
 韓国の人たちのパンジーの印象や感想は・・
★自立生活している当事者が、生活保護と年金で生活していると聞いた。韓国の状況とは違い、様々な活動があり、楽しそうに見えた。
★最初、当事者も支援者も性について無関心なのかと思った。後に、国民性のちがいなのだとわかった。韓国では仕事以外の社会活動がほとんどない。
★同じ目標に向かって活動している人が日本にもいるんだとわかってうれしい。
★当事者が尊重されていることに衝撃を受けた。当事者活動を過小評価していたが当事者が中心になっている場面を見て反省した。当事者が力を持っている事を改めて確認できた。
★今回はスタート。ピープルファースト大会にも参加したい。今度はぜひ韓国へ!

 ザ☆ハートの生田さんは、「韓国でもピープルファーストをやってもらえたらいい。仲間を広げたい。」、梅原さんは「パンジーでやっていることが、これでいいと思っているけど、わからんこともある。もっと勉強したい」と話しました。
この交流をきっかけとして、韓国でもピープルファースト運動や当事者主体の活動が広まっていけば本当にうれしいと思います。梅原さんの意見にもあるように、パンジーはこれでいいわけではなく、もっと当事者の生活が良くなる支援をしなければと改めて考えることができた交流でした。韓国の皆さん、お互い頑張りましょう。また会える日を楽しみにしています!
(たき)




韓国の支援者と交流して

当事者の感想です。

宮田「韓国でも施設があると聞いた。解体したらいい。ピアカンのことを詳しく聞かれた。今度は当事者も来て、一緒にピアカンができたらいいです」
生田「韓国に帰ったらピープルファーストやりたいと言ってた。メンバーはようけおるって。福祉の制度がまだまだって言ってたけど、ピープルファースト作って当事者が力つけてほしい」
梅原「韓国は職員ばっかり動いてるからまだまだやなと思った。当事者がきてほしかった。こっちの話ばかりで、むこうの話ももっと聞けばよかった」
田邊「韓国の支援者の人は優しかった。吹奏楽や、ギターの話をした」

「すてきな恋をしよう!」に参加して
「にぎやかだった。手をつないだAさんは今日もお茶をいれてくれてお嫁さんみたい。生田さんと中多さんみたいに結婚できたらいいな。その練習やと思った。Aさんの手あったかかった。めったに行かれへん世界一周の新婚旅行に行きたい」
「よかった。結婚したい。デートは買い物がいい。手をつないでうれしかった。Sさんも喜んでた。お母さんには内緒にしといた」
「女の人と付き合ってみたい。デートは公園に行きたい。好きなタイプはお金持ちで細い人」
「私もしたい(手をつなぎたい)なと思った。デートはカラオケで石原裕次郎とかデュエットしたい。今、好きな人いる。ハートを渡したい。韓国の女の人が一緒にいてくれたのがうれしかった。道で会ったら声かけるねと言ってくれた」
「AさんとBさんがとても仲がよかった。私もちょっとはしてみたいなと思った。ハートを渡すやつが一番よかった。男の人に渡した。とても心やさしい人。また参加したい」
「ハートを4つもらった。お兄さんみたいに、ええ人がおれば、結婚したいなと思った。また参加したい」




パンジー旅行inディズニーランド&愛知万博&韓国!
 
 
 7月6日(水)〜8日(金)の2泊3日、パンジー旅行に行きました。当事者、職員総勢120名。今年は初めての試みとして、3グループにコースを分けて旅行に行きました。そのうちの一つは、初めての海外旅行、韓国です。パスポートを申請にいったり事前に韓国語の勉強をしたりと、職員、当事者とも旅行にいく前からワクワク、ドキドキでした。
 
 <韓国>総勢22名で、ソウル中心部とその近郊へ行ってきました。
 オシャレをし、韓国で購入したい物を決めてきた当事者たち。空港へ向かう車中からワクワク感と不安感で熱気のあふれる感じでした。韓国では、韓定食と古典舞踊を楽しみ、韓国民俗村や西大門刑務所歴史館で歴史にふれました。夜は夜で繁華街や焼き肉屋で韓国を堪能しました。「せっかく韓国まで来てるねんから、いっぱい楽しまなもったいない!」

<東京>
楽しみにしていたディズニーランドやディズニーリゾートで思う存分楽しみました。
ショーやアトラクション、パレードなど梅雨の合間のためか混雑がなく満喫! 夕方の集合場所には、ミッキーマウスも集合!! 突然のミッキーの登場にみんな驚くやら感動するやら。やってくれますミッキーさん。元気のない当事者もミッキーの顔を見たとたんにこにこ! ミッキーの魅力に参った!

<愛知>
3つの旅行のコースでは一番のんびりしているコース。バスに揺られて白川郷へ。昼食は飛騨牛のしゃぶしゃぶ。五平餅のおやつやソフトクリームなど、たくさん食べた! ホテルでは宴会。ほぼ全員の当事者がカラオケを歌って満足そうでした。郡上踊り体験の後は外から丸見え雄大な露天風呂でのんびりすしました。愛知万博はパビリオンにも車椅子席があって、行列の多いパビリオンにも入ることが出来た! 帰りはきしめん。食べに食べた3日間でした。

(東京)
・ミッキーと握手した。写真を撮れてよかった。夜のパレードがごっついきれいだった。
・スプラッシュマウンテンに乗ったり、乗り物に乗ってとてもよかった。
・来年もまたディズニーランドに行きたい!
・すごくにぎやかでした。来年はもっとにぎやかな旅行にしましょう。

(愛知)
・一生に一回しかない愛知万博、思い出になりました。愛知博で購入したお土産は、いつかレアモノになると思う! 
・旅館では、カラオケ出来て楽しかった。万博が来年もあったらいいのに。
・料理がいっぱい出てよかった。

(初めての海外旅行・韓国)
・買い物で悩んだ。韓国のお金の使い方などを、行く前にもっと練習して行きたかった。
・ビールも大阪と違う。ちょっとうすいけどおいしい。コップでいっぱい飲んだ。最高!
食べ物もおいしかった。辛いスープ急いで食べた。肉柔らかかった。踊り見物−かわいい子が踊っていた。持っていった名刺を渡した。韓国海苔うまい!
 ・景色がよかった。小物入れとかお土産買った。免税店がでかかった。刑務所はちょっと難しかった。言葉の練習が出来て良かった。韓国のタバコもいけた。
・来年も海外に行きたい! グアム、サイパン、ハワイ。オーストラリアもいいな。ニューヨーク、パリなんかも行ってみたい。

(初めての小グループでの旅行はどうでしたか?)
「大勢の方がわいわい出来て楽しい」「グループで行けてよかった。来年も3択がいい。人数が多いとしんどいので嫌やん」「今年はグループだったので、来年は全体の方が楽しいと思う」「グループと全体、1年交代で行ったらどうや!」





人に対する安心感V
中新井 澪子

 8月初旬、創思苑主催の講演会で滝川一廣先生(精神科医)の話を聞いた。先生の著書−「こころ」の本質とは何か−で予習して臨んだので、先生の人間学的な「障害観」をよく理解できた(と思っている)。また、「精神発達のベクトル(※注1)」の2軸を提示していただいたお陰で、私が60数年間で出逢った多くの人達− 大人も子どもも、障害のある人もない人もその境目の人も−が一本の軸のまわりに整理されたようなスッキリ感を感じてうれしかった。そして今「安心感」について書いている私から離れないのは「こころのもつ共同性」である。少し長くなるが先生のことばを次に引用する。

 『こころの共同的構造が認識というレベルで機能すれば、人間はそれぞれの個体のもつ生理学的な感覚知覚機能のままに世界をとらえるのではなく、たえず「意味」や「関係」の相において世界をとらえ直して、それによって個体の認識世界を社会的に他人と共有可能なものとしてゆくというこころのはたらきとなって現れてきます。人間のこころのはたらきは高度の共同性をもっています。精神発達とは、この共同性の獲得のプロセスにほかなりません。 この共同的構造が日常生活のレベルで機能すれば、自分以外の人という意味での「他人」との関係にたえずこころをはたらかせながら精神生活を営むというかたちで現われます。
 (中略)その精神生活で大きな焦点となるものが、 他人との関係のなかで自分は安全なのか、受け容れられているのか、存在そのものを認められているのか、と言う問題です。裏返せば、自分は他人との関係に置いて安全を脅かされまいか、排除されまいか、承認を奪われまいか、といった不安やおそれが焦点となります。なぜ大きな焦点になるのかは、人間とはまわりへの「依存性」を生きる存在だからですね。他人なしでは生きられません。「依存性」を他人から基本的に保証されるかどうか、これは社会的な生存にかかわることです。「安全」と「受容」と「承認」があってはじめて、私たちは安心して世界に身を委ねつつ生きられます。』

 私は「パンジーだより」のこのシリーズで、コミュニケーションの下手な人の中に、それでも何とか伝えようとする人と、なかなか自分の思いや要求を出せない人達がいて、その違いはメンバー達の能力でも訓練の成否でもなく、彼らのもつ「人に対する安心感」の有りようではないかと書いてきた。日常場面でのかかわりも、彼らが自発的に訴えてくる(同じことばのくりかえしや叫び声、手を引っぱることなども)ことには、出来る限り応えてきた。メンバーは自身が出来ることを依頼されている場合も、その気持を汲んで手伝ってきた。また、自ら訴えようとしない人には、出来るだけ側にいて、あなたの役に立ちたいといつも思っていることを何とかして伝えたいといろいろかかわってきた。そして、スタッフとのミーティングでも、私の考えを話してきた。
 困った時や苦しい時に、周りの人に安心して支援のS.O.Sを出せることが自立の第一歩と確信しているものの、私自身の心の「ゆらぎ」はいつもある。特に、メンバーからの要求が思いどおりに通らない時のパニック状況への対応や他のメンバーへの影響を思う時、「もっと適切なかかわりがあったのでは」と考えて寝つけない時もある。また、「依存関係」や「こだわり」がエスカレートするのではとの指摘に、「大丈夫」と答えながらも「本当か?」と自答したりしている。
 こんな状況の私に、今回の出逢いは「安心感」を与えてもらったような気がしている。先生の言葉を借りれば、「こころのもつ共同性」が十分に広まり深まっていない人たちが持つ「共同世界から排される(依存を絶たれる)」のおそれに対し、「依存性」を基本的に保証するのは社会的な生存を支援することなのだ。
 しかし、その一方で先生は、逆に「共同世界に支配され呑み込まれる」おそれについても言及されている。このような被害的なおびえの様子を示すのは、比較的コミュニケーション能力の高いメンバーに見られるように思う。次回に考えてみたい。




滝川一廣さん講演会報告

  2005年7月22日、第一回地域生活支援ミニフォーラム「『こころ』の本質とは何か〜知的障害者の世界〜」を、大正大学人間福祉学科教授の滝川一廣先生をお迎えして開催しました。100名弱の参加があり、熱気あふれる講演会となりました。
私たちは、自閉症や「行動障害」と言われる人たちと関わっています。滝川先生の話で、社会で生きていく上で@まわりの世界をより深くより広く知っていくこと(認識の発達)、Aまわりの世界とより深くより広くかかわってゆくこと(関係の発達)が大切であり、知的障害を持つ人たちは@の軸が苦手であり、自閉症と言われる人たちはAの軸が苦手であること。その困難さや心理を理解し関わることが重要であることなどが分かりました。(詳しくは「『こころ』の本質とは何か−統合失調症・自閉症・不登校のふしぎ」ちくま書房をご参照下さい)
これからは支援者が以前よりも気持ちの余裕を持って関われるようにしたいと思います。
さて、第2回目として12月1日にニキリンコさんの『俺ルール、自閉は急に止まれない』を予定しています。ぜひご参加ください。  (久保)




ポジティブな視点でのとらえ直しを
〜韓国の人たちとの交流で見えてきたもの〜

林淑美

 夏休みに入る寸前、韓国から見学者が訪れた。本来は、ハートブレイクの人たちがパンジーで行う「すてきな恋をするために」のワークショップを見学が目的であった。その機会に立教大学の河東田先生の進めもあり、パンジーの当事者中心の活動を見学したいと申し入れがあった。
 詳細は、担当した各職員の報告に譲るが、かえる会の職員面接に、衝撃を受けたようだ。そして、職員面接や、法人の役員に当事者がなっていることなど、法人の運営に当事者が深く関わっていることに驚きを隠せないようであった。そして、当事者中心の活動を支援している職員の質を高く評価してくれた。当事者中心の施設にすること。そして、それを支援できる職員を育てることを法人の理念としてきた私たちにとっては、とてもうれしいことであった。
しかし、当事者中心の活動は、当事者の会を作ったらできるものではない。日々の活動や生活の場等で、「自分の思いを伝えても大丈夫。怒られることはない、支援してもらえるのだ」という安心できる環境や、様々な活動を通して地域の人たちの関わりなどの相互作用の中で、培われていくものだと思う。
 そして、3日目の韓国の人と当事者・職員のリーダーが参加した「意見交換会」の席でのことである。ぜひ、韓国でも当事者中心の活動を作ってゆきたい。そのために、まずは、パンジーの人たちを韓国に招待したい。当事者との交流を実現したい。そして、来年のピープルファースト大会に韓国の当事者を参加させたい」等の発言が続いた。そんな中、意見を求められた当事者リーダーが、「僕は、パンジーは、まだまだ変えなあかんと思うな」と発言した。その言葉に、私は、不意をつかれた気がして、おもむろに体勢をたてなおした。
 この3日間、私は、少し有頂天になっていたのかもしれない。パンジーでは、職員が褒められることは、とても希なことである。当事者中心の活動を支援しようと決めてから、意識して気持ちを切り変えないと「まだだ。まだだ。」「どうしたらいいんだろう。」という焦燥感に襲われることがある。そんな日常の中で、疲れてもいたし韓国の人の国民性もあるのだろうが、ストレートに褒められたのが、素直にうれしかったのだ。
 気を取り直してとらえ直しをするため、私の頭は急ピッチでぐるぐるまわり始めた。そりゃそうだ。パーフェクトなんてありえない。
変えなければならない点がたくさんあるのは、私にもわかっている。
現状は、実現途上なのだ。そして、その現状をどうとらえるかが、当事者や保護者や職員という立場によって少しずつ違うのだと思う。そして、「それにしても、こういう場に当事者が参加していて、様々な立場からの意見が出る。これがパンジーの良いところだ。当事者がいて良かったー!」と思った。こういう、ポジティブな視点でのとらえ直しを「リフレーミング」というそうだ。最近は、意識してそれを心がけている。
 最後に、たった3日間の交流が、「韓国への招待」につながった韓国の人たちの決断と行動のパワーを見習いたいと思った。そして、やはり、人とのつながりの中で、私たちは成長していくのだと思う。
そのつながりを、私は、当事者と一緒に作っていきたいと、改めて思う機会になった。そして、この機会を作って下さった河東田さんに感謝したい。




「障害者自立支援法」の行方と私たちの立場

社会福祉法人創思苑理事 楠敏雄

 皆さんもすでにご承知のように、今年2月に国会に上程された「障害者自立支援法(案)」が8月8日に小泉首相が衆議院を解散したために廃案となった。廃案の直接の理由は言うまでもなく、「郵政民営化法案」をめぐる混乱だったが、この矛盾だらけの法案の審議をここまで引き延ばし、結果として廃案まで追い込んだのはなんと言っても、私たち障害者運動の力によるところが大であると言ってよい。
 ところで、この自立支援法は今国会では廃案になったとはいえ、厚生労働省はこの法律の制定を断念しておらず、衆議院選でよほど大きな変化がない限り、この秋の臨時国会に再提出されることは必至と思われる。現に先日の記者会見で尾辻厚生労動大臣は「この法律は最高のものだ。何の修正も加えずに再提出する」 と言い切っているのである。
 しかしながら、実際のところはこの法案は全くの「付け焼き刃」的なものであり、このことを一番実感しているのは他ならず厚生労働省のお役人たちであるはずである。現に衆議院での法案は通過の際には与党自らが、法案の根幹にかかわる十一項目の付帯決議を提出し、厚生労働省もすんなりとそれを認めているのだから・・・。
 もっとも、付帯決議の内容そのものはどれをとっても明確さも具体性もない項目ばかりで、こんなもので障害者の不安や怒りを沈静化させることなどできるはずもない。たとえば私たちが特に強く批判した所得保障については、「就労支援も含めて所得保障については3年以内に結論をだす」との表現にとどまっている。また、審査会についても「専門性を持つ障害者の参加」や「知事への不服申し立て」などを掲げ、自ら審査会の不十分さを認めざるを得なかったのである。
 さらに移動やコミュニケーションの支援については、「これまでのサービス水準の維持」を掲げており、自立支援医療についても、「月ごとの上限額の設定の検討」を掲げているが、いずれも具体策は何ら提示されていない。
 今後、私たちとしては、問題点が何ら解消されていないこの法案はどうしても認めるわけにはいかず、各地域や全国規模の行動を継続することを提起している。また、私たちの側からの自立支援のしくみや内容についても早急にプロジェクトチームを立ち上げ、新たな提案を積極的に行なって行く必要がある。
posted by パンジー at 20:49 | パンジーだより

2005-06-01

パンジーだよりNo.56

グループホームでの結婚生活

 生田さんと中多さんが多くの人に祝福されて結婚してから、約半年がたった。今、2人はグループホームで暮らしている。結婚式は楽しいけれど、結婚生活となるといろんなことが起きる。
 ある時、中多さんが他のグループホームの夕食に呼ばれた。メニューは焼き肉。次の日に中多さんがニコニコしてパンジーにやってきた。「昨日、生田におみやげを買って帰ったった」「何を買ったん?」「レタス!」自分は肉で夫はレタス!? 私は少々驚いた。生田さんに聞くと苦笑いしている。
 別の日、「スナックに行ってきてん!」とニヤリとする生田さん。「中多さんは?」「一人で行った」とのこと。新婚なんだから一緒に遊びに行ったりしいや! と、やきもき。
 でも、2人はたばこを吸うのは居間だけにする、ヘルパーに洗濯を頼むかどうか等、グループホーム世話人と一緒に生活のルールを決めて生活を積み重ねている。
 少し古い資料になるが、2002年に東京都が行った「障害者の生活実態調査」では、647人の知的障害を持つ人の回答があった。
「障害のためにあきらめたり妥協したこと」という質問項目では、多い順に「就職」32.8%、「結婚」30.6%、「異性との付き合い」28.4%となっていた。
 一方身体障害を持つ人の回答では「旅行や遠距離の外出」が一番多く、続いて「スポーツ・文化活動」となっている。
 この結果を見ても、知的障害を持つ人たちにとって、恋愛や結婚のハードルが高いのだと感じる。
 それでも結婚している知的障害を持つ人たちは少しずつ増えてきている。私たちは結婚や恋愛が知的障害を持つ人たちにとっても選択肢の一つとなるよう、自分らしく生活できるよう、精一杯支えていきたいと考えている。
 生田さんに2人の生活はどうですか? と聞いてみた。「好きで好きで、はなれられへんわ!」とのろけてくれた。 




「自分達できめる」 〜結婚支援の中の見守り〜
ハートブレイク 黒瀬清隆

当初、「結婚支援」という言葉からイメージしていたのは「結婚したいと考えている二人がいかにゴールイン出来るように支援するか」と「その後の生活支援や性に関する支援」でした。しかし、実際の支援はそのような外形的なものばかりではなく、「こころの支援」が大きなウエイトを占めていたように感じています。
「好き同士の二人」が一緒に居たいと考えるのはいずこも同じですが、それが結婚となると、二人にとって想像以上の心労をともなうものとなります。ましてや、知的しょうがいを持つ人々にとっては「二人での生活を始めること」そのものも大変ですが、それ以上に「周囲の理解を得ること」が大きな壁となって現れてきます。
今回の支援を振り返ってみると「結婚したい二人の希望をかなえるためのプロジェクト」が開始され、「結婚とは何か」「二人の暮らしをどうするか」「結婚式をどうするか」と進み、めでたく「結婚式」を挙げ、「いっしょに暮らす」・・・と二人の行動と共に話し合いの会は進んでいったのですが、この間、全てがスムーズに進んだわけではけっしてないのです。二人の感情のすれ違いからトラブルも発生したのですが、コミュニケーションのとり方が不得意な彼らにとって仕方ないのかもしれません。家族の説得にも「反対されるのでは?」との憶測から、アプローチそのものにも躊躇がありましたし、結婚することを知った周囲の人々からの反応に一喜一憂することもしばしばでした。
そんなおり、私たちは何をしていたかというと、彼らの話に耳を傾けていたにすぎなかったのです。具体的な対処方を示すケースは極めて少なく、幾つかの選択肢の提示程度しかしていません。つまり「見守り」に徹していたのです。
結果として、彼らは自分たちで考えて決め、実行していったのですが、その基礎は「自分の考えを言える場所と雰囲気があったこと」なのです。「聴く」「待つ」という「こころの支援」はとても大切であり、パンジーにはそれが存在していることを改めて確認できた結婚支援への参加であったと言えます。




結婚○年目、西川さん夫婦にインタビュー

Q:出会いは?
三恵:私が23歳で、大ちゃん27歳よ。先輩から紹介されて一目惚れ。だってかっこよかったんやもん。
大吉:かわいかった。
Q:施設でのつき合いは?
三恵:5つに寮が分かれていて、別々の寮でおった。その時はおつき合いはしよらんかった。私が仕事に行くようになって、仕事にいく寮に移ったら、そこに大ちゃんがおったんよ。
大吉:交換日記しよった。職員に見つかって取り上げられて帰ってこんかった。ほなけど、つき合いは反対されんかった。町内外出するときはデートができた。グループで。
Q:町外外出は?
三恵:職員の監視付き。
Q:プロポーズは?
大吉:結婚してくれっていうた。
三恵:すぐには返事できなんだなぁ。プロポーズは施設におるとき。6年つきあってから返事をしたんよ。
Q:家族は?
三恵:お母さんは喜んどった。おじさん、おばさんも賛成してくれました。
大吉:両親はかんまんって。(結婚していいって)
Q:結婚の具体的な話は?
大吉:間に職員が入ってくれた。
三恵:私が「そろそろ結婚したいんですが」て言うた。
Q・・結婚生活の楽しいこと
三恵:二人でおれるってことが楽しい。ダントツやな。
大吉:会話が楽しい。
Q・・結婚生活のつらいこと
三恵:たまになぁ。私の言うこときいてくれんことがある。すぐケンカしてしまうんよ。ちいと(ちょっと)ケンカもひいて(減って)きてかなぁ。
大吉:家のことを自分ばかりがしたこと。例えば、食器洗い、掃除・・・。(笑)
Q:奥さんがつよい?
三恵:五分五分。こっちも強いでぇ。怖いわ。
★結婚したい当事者に一言
大吉:障害があっても、結婚しようと思ったらどんなことにもくじけないで頑張ってください。
三恵:結婚生活は楽しいよ




昨年の9月に結婚した生田進さんと中多百合子さん。二人はグループホームで暮らしている。二人の暮らしぶりを、パンジーUで働く岡本智さんがインタビューした。

岡本 今朝は何を食べた?
中多 コーヒーとパン
生田 コーヒーを飲んだ。
岡本 誰が作りましたか?
中多 昨日自分で買ってきました。
生田 自分で作りました。
岡本 あとかたづけは?
中多 二人でしました。
生田 たまにヘルパーにしてもらうこともあるな。
岡本 二人一緒に遊びに行くことは?
生田 カラオケに行ったな
岡本 二人でどんなところに行ってみたいですか?
中多 今、考え中!
岡本 最近、一番楽しかったことは?
生田 福岡のグループホームに住んでいる仲間が遊びに来たことやな。
中多 生田の誕生日パーティーに21人もお客さんが集まってお祝いしたこと!

岡本 結婚して良かったことは?
中多 生田さんがコーヒーを入れてくれたり、食事の時はラップをはずしたりしてくれてる。
生田 洗濯たすかってるで(笑)

生活しはじめた頃は、いろんなことでぶつかっていた2人。最近は、ケンカも減って、2人の生活を楽しんでいるように見えます。
 2人がいっしょに生活するために、いろんなことを決めていきました。




パンジーたより
Oさんの結婚の話し合いに参加して

 OさんとNさんが2人そろってパンジーに来て、「結婚したい」と言ったのは、去年の5月頃。でも具体的なイメージがわかない二人。“結婚して二人で暮らすってどういうこと?”“性について知ろう!”ということで、ハートブレイクの黒瀬さんと話し合いをしてきました。
 OさんとNさんは、2月12日に結婚式をし、春から一緒に暮らし始めると決めました。順調にいくように見えた二人でしたが、12月の上旬「まだ結婚は不安なんだ…」とOさんがぽつり。マリッジブルーかな? と想像しましたが、深く話を聞いていくうちにそうではないことがわかりました。OさんがNさんのことは大好きで、結婚したいと思っているのは確実でした。でも、もっとゆっくり2人の関係を築いていくことがOさんにとって必要なのだとわかりました。
 そこでOさんはNさんとよく話し合って2月12日は“結婚式”ではなく“婚約式”にすることにしました。そう決まると、今度は楽しい話でいっぱいです。「衣装は何にしよう?」「ウエディングドレスは結婚式に着るから、カクテルドレスがいいかな」「着物がいいよ!」着る服の話だけで楽しそうでした。「指輪、いつ買いに行こう?」「高いのをおねだりしないとダメよ」、なんて外部の声も聞こえます。
指輪も買って、すてきな衣装も決まり、本番のプログラムも決まりました。
婚約式前日、私はOさんと一緒に過ごしたのですが、ずっと落ち着かない様子で、緊張がこちらまで伝わってきました。夜は一睡もできずに本番を迎えました。
しかし、婚約式は本当にすてきな式になりました。Oさんも嬉しさいっぱいのようでした。
今、2人がどのようになっていくかは分かりません。誰もが経験する悩んだりとまどったりを繰り返しながら、ゆっくりと自分が納得する道を進んで行ってくれたらいいと思います。そして、それを支援したいと持っています。(幸女)




人に対する安心感U
中新井 澪子

 「わくわく」は相談事業も行っており、担当者から助言を求められることもある。先日も不登校になっている中学生のことで話があった。詳細は差し控えるが、「人との安心した関係」は日常性の中で作られること、それはゆっくりで時間が必要なこと、そして傷つきこわれやすいものであることなどを改めて考えさせられた相談であった。
 以前に紹介したAさんも不登校を経験している。パンジーに通い出した当初、彼は幼少期のいじめ経験のフラッシュバックに苦しんでいた。十数年前の出来事をまるで今おこっているかのように相手の名前を叫び、その状況に怯えていた。そんなAさんとパニック解消法について、話しあったことがある。彼は薬を飲むのが一番だが、次は楽しいことや好きな人の顔を思い出すと楽になると教えてくれた。Aさんだけでなく、話すことの出来ないメンバーの中にも、つらい体験をしてきた人はいるだろう。私はすべての子ども達は子ども時代に、安心できる好きな人をいっぱい作り、夢中になれるような楽しい経験をいっぱいやってほしいと思っている。書字や計算が出来なくても、大きなハンディキャップにならないが、困っていることや嫌なこと、やりたいことややってほしいことなどを側に居る人に安心して訴えたり、支援を求めたりが出来ないのは、卒業後の人生の生きにくさにつながってしまう。知的障害の有無にかかわらず、今多くの子ども達のニーズは学力向上より、人間関係力の強化にあるのではと思う昨今である。
 さて、Pさん、私がここ一年ほど、出来るだけ側に居て、彼の気持ちや要求のサインを受けとめ、応えようとしてきた人だ。彼はパンジーに入所する前や来た当初、かなりの物壊しや物投げをやっていた。受け入れに際して、まず安心できる居場所とスタッフとの関係作り、そのためには、壊されたら困るものは部屋に置かない、破壊行動は寸前に止められるよう、スタッフは彼の側に居る。その中で一人は怖い人の役を引き受けるなど、話し合われた。
 Pさんに最初用意した居場所は一人部屋、そこではハンガーの組立てを器用にこなすが、やはり皆のいる部屋が気になるようで、半年もすると自分の部屋の入り口に陣どって、部屋の物を位置や向きをチェックするようになった。誰かが少しでも動かすと必ず元通りにしないと気がすまない。こだわりのある他のメンバーと執拗なバトルを繰り返すことがあった。時には毛布やプラスチックの箱が被害を受けた。
 あれから3年、今の彼の居場所は中庭に面したガラス戸の側、二階のテラスを含めパンジー全体が見渡せる所だ。やはりチェックは入り二階までなおしに行ったりもするが、リラックスも出来るようになった。時々仕事もするし居眠りもする。
 私のPさんへのかかわりは、まず朝の挨拶、言葉だけでなく、握手やぼうず頭をなでることから始めたが、今では「お早よう」だけでうなずき返してくれる。落ち着かないときなどは、肩をもんだり背中をマッサージして彼の反応を見る。いやがる時もあれば、まんざらでもない時もある。「もっとやってほしい人?」と聞くと最初はかすかに指を動かして意思表示した。少し刺激を強くすると声を出して笑ったりもした。それからは、彼の様子を見ながら、例えば「お茶を飲みたい?」などと聞くと、イエスの時は、私の顔を見てうなずいたり、大きく手をあげたりとはっきり応じるようになった。しかし自分から要求を伝えることはなかなか出来ない。やりたいことは、いきなり実力行使になる。




12年を経て新しいステージに

社会福祉法人創思苑
   理事長 林 淑美

 5月下旬、東大阪市花園の銭湯を大改造して、自立生活支援センター「わくわく」とデイサービス事業を移転することになりました。改修は順調に進みレトロな雰囲気のすてきな事務所になりそうです。
 今まで二つの授産施設に集中していた機能を分散させていくこと(集団の適正化と力の分散)は、2001年〜2002年にかけてスウェーデンの当事者団体との交流を通して、パンジーの当事者と共に考えてきたことです。目的は違いますが、はっしんきちザ☆ハートに続いて2つめの移転になります。一歩、目的に近づきました。
「人生は、らせん状に廻りながら進化していく」という言葉を聞いたことがあります。パンジーの運営を開始してから12年、新しいステージに立ったような気がしています。パンジーを核として、どんなに障害が重くても地域で暮らすことをめざして活動してきました。これからは、パンジーの理念を大切にしながらも、だれもが自分らしく暮らせる共生社会の実現のために、さまざまな立場の人とのネットワークづくりを模索していきたいと思っています。
 まわりを見渡せば、不安を感じる事の方が多いこの頃です。効率性を重視した「障害者自立支援法」が実施されると、効率性を要求されるのが苦手な知的障害を持つ人たちにとっては、生きにくい社会になるのは確かです。知的障害を持っている人だけではなく、誰にとっても生きにくい社会だと思います。そのような状況の中で、どんな活動を展開していくのか、まだ漠としています。
 今回の事務所の移転は、銭湯を持っている地域の人からの協力で実現することになりました。たくさんの人の支えの中でパンジーがこれまでやってこれたことを実感しています。今、新しい何かが見つかりそうな手応えを感じています。これまでにも増して、よろしくお願いします。そして、何かを一緒にできたら、とてもありがたいです。




「障害者自立支援法」を考える
創思苑理事 楠 敏雄

 今年2月に厚生労働省は障害者や家族、関係者らの反対を無視して国会に「障害者自立支援法(案)」を上程しました。皆さんもご承知のように、この法案は政府が2003年に導入した「支援費制度」を、財政難を理由に一方的に中止しようとするもので、本当の目的は障害者に対するガイドヘルパーなどのサービスを減らすことをねらったものに他なりません。
 まだ実施から2年を経たばかりの支援費制度を変える理由として、政府はまるで大都市部の身体障害者や知的障害者が、サービスを使いすぎたことにあるかのような言い方をしていますが、それは明らかにごまかしです。なぜなら、元々日本の障害者に対する福祉政策は欧米諸国と比べても非常に遅れており、特に障害者が地域で暮らすための制度は非常に弱かったのです。つまり日本政府は、長い間「障害者のケアは家族がするべきだ」とか「家族がケアできないのなら、コロニーや入所施設で暮らせばいい」という考え方で政策を続けてきたのです。それが私たち障害者のねばり強い運動や、国際連合からの指摘を受けて、ようやく1995年の「障害者プラン」や「支援費制度」の導入によって、地域での生活がしやすくなりかけたところだったのです。そして今度はいきなり「お金がない」という理由で「グランドデザイン」や「自立支援法」を打ち出してきたわけです。
 厚生労働省の役人や多くの政治家は、私たち障害者や家族の危機感をほとんど理解していません。彼等は障害者の実態をほとんど知らずに、机の上で作文をしているだけのように思えてなりません。
 私たちは何もサービス料を全く払わないと言っているわけではありません。実際に年金を含めて一ヶ月10万円以上の収入を得ている障害者は、日本全体の障害者の一割にも満たない状況なのです。これでは負担などできるはずもありません。
 私たちはこの一年かなりのお金と体力を使って厚生労働省に抗議行動をしてきました。政府はあらゆる卑劣なやり方でこの法律を通そうとしていますが、私たちは戦いをやめるわけにはいきません。実際、まだ細かい内容は決まっておらず、これからも厚生労働省や各地方自治体との交渉を通して、本当に障害者が地域で自立して生きていける制度に変えていくことが求められているのです。次の機会にはこの法律の内容について、細かく検討してみたいと思います。
posted by パンジー at 20:59 | パンジーだより

2005-03-01

パンジーだよりNo.55

主張する知的障害者

 障害者の声を全く反映していない「自立支援法」が閣議決議され、国会上程されました。
 2月15日〜16日、「自立支援法」への異議を訴えるため、全国から約2000名の人たちが集まりました。厚生労働省や国会議事堂前で反対集会やデモ行進、座り込みをし、パンジーからも約40名が参加しました。代表団は各党議員たちと話し合いました。
 当事者が強く言っていたことは▼勝手に決められたくない!▼ガイドヘルパーが使えなくなったら困る▼お金がないのにサービスが使えなくなる▼自分の好きなグループホームに住みたい!ということです。当事者のことばに厚生労働省や国会は深く耳を傾けてほしいと思います。私たちはこれからも法案がこのまま通らないよう、訴え続けます。
 さて、今回の特集は『主張する知的障害者』です。
 十二月三日創思苑職員勉強会が開かれました。内容は「職員に言いたいこと」。講師ははっしんきちザ☆ハートの当事者の生田進さんと梅原義教さん。支援者は同じくザ☆ハートの山田佳子。生田さんは、「こんなきびしいことを言ったら「辞めます」と言う人が出てくるのでは? でも、乗り越えてほしい」と言います。また梅原さんは「思っていることを全部言うのはこわい。でもいわなあかん」。そして「パンジーの当事者の代表として話します」と講演が始まりました。
 勉強会に参加した四四名の職員のほとんどが、気持ちを揺さぶられる体験をしました。今回のパンジーだよりでは、その内容を紹介します。
 知的障害を持つ人たちは自己決定できない、主張できないという固定観念にとらわれがちですが、みんな強い思いを持ち、思いをしっかり主張します。精一杯受け止めて、職員・支援者からも返していきたいと思います。




パンジーの当事者から職員へ言いたいこと

職員はえらそうにするな

生田「職員がえらそうにしてると思うのはワープロしてるとき。お金の計算や考え事してるとき。「ちょっと待ってくれ手離せへん」。職員の悪い癖や。話しかけたら話して欲しい。オレよりパソコンを大事にしている。どっちが大事や」
梅原「言い方がきつかったら、えらそう。嫌やな。いっしょに仕事したくない」
生田「きつい言い方や、大きな声でぼやくのはよくない。声をゆるめてもあかん」。

職員は当事者の話を聞くこと

梅原「職員は当事者の本当の気持ちを引っ張って聞いてほしい。話しかけたら向こうから答える」
生田「話を聞いたら当事者は安心するし喜ぶ」

当事者を不安にさせるな。びっくりさせるな

生田「車について。笑いこっちゃない。車がぼこぼこになってる。当事者はびっくりしてよう乗らへん」
梅原「車に乗るのが好きな人はたくさんおる。配達や営業は大切。パンジーの車はぼこぼこで恥ずかしい。車いすで車に乗って運転が荒いと、急ブレーキはお腹が痛い。
 職員は『ちょっとまって』とよく言う。ちょっとってどのくらいと不安になる。理由も言うてほしい。すぐ出れるように準備しといたらいい」
生田「昔石けん工場で働いてて暴力をうけた。ドラム缶投げられて当たったら笑ってた。しょーもない人間がすること。すごいつらい。こき使われて。パンジーの職員が暴力をふるったらあかん。辞めてもらう」
梅原「ピープルファーストで事件のこと、暴力のこと、困ったら相談乗っている。パンジーで暴力があったらピープルファーストやってんのに何やってんの? と思われる」。

職員だけで決めるな

梅原「職員は会議が多すぎる。職員だけで考えるとケンカがあるやろ? 困ったときや新しいことは当事者がかえる会で決めるんちゃうの。当事者は知らんで職員だけ知ってるのはおかしい」。
生田「俺らにはわからんから、先に決めたらいいと思ってるん違うか」

当事者がわかりやすく。意見を言いやすいように

梅原「どらえもん会は職員が引っ張ってる。かえる会は当事者が引っ張ってる。この前どらえもん会が30分で終わってた。あかんやろ。当事者が考えるには短い。当事者が会議の司会をしたらのびる」
生田「かえる会に来るようになった当事者がしっかりしてきた。俺も最初は講演で急に声が出んようになってた。でも毎日のように話して拍手をもらってうまくなった」。
梅原「僕は昔、職員の言うようにやってた。最近はズバズバ言うようになった。僕はピープルファーストをやって考える力がついた。言う場面をもっと作ったらいい。パンジーには言いたいことを隠している当事者がたくさんおる。言葉で表現できない人は、代わりに言ったらいい」

最後に

梅原「今のパンジーはまだ当事者の力が小さくて、職員が大きい。当事者が大きく支援者が小さくなってほしい。そのために職員が助けて欲しい」
生田「いろいろきついこと言うたけど、これを乗り越えて欲しい。よう乗り越えんかったら心が負けたっていうこと」




職員は怖い 山田佳子

 勉強会の支援をして感じたことは「職員は怖い」ということです。
 当事者の生田さんや梅原さんから出た、職員に言いたいことを書いたカードを壁一面に貼り、それを見ながら3人で勉強会の練習をしていて、不安に陥ったことがありました。生田さんは「これだけきついこと言うたら、辞める職員が出てくるんじゃないかと不安やねん。寝る前にいつも考えてしまってしゃーないねん」とつぶやき、梅原さんは「こんなん本当に職員に言うていいんかな? 胃が痛いわ」と苦笑いをしていました。
 本番、職員44名を目の前にするとその恐怖は並々ならぬものでした。いつもは冗談をいいながら笑っている人達が、一瞬にして「怖い集団」になりました。最初のうち生田さんは下を向いたままでした。私は職員のほうを見ることが出来ず、どんどん早口になっていきました。梅原さんとは今まで何百人という人の前で一緒に話をしてきましたが、これほどの汗をかいているのを見たのは初めてでした。
 当事者が日頃、支援されている職員に意見を言うことはこんなにパワーがいるものなのかと身をもって感じました。私にとってとても勉強になりました。しかし、本当に疲れました。

職員の感想
・当事者の人からはっきり自分の言葉で思いを伝えられたのは初めてでした。職員にとっては、こういう形ではっきり伝えられるほど心に感じることはないと思いました。
・支援者には小さなことでも当事者にとっては大きな問題になっていることに気づきました。
・「仕事にかまけて当事者の話を聞いていない」という指摘は、職員だけが忙しくて、当事者が置き去りにされているのかなと感じました。
・まっすぐ心に飛び込んでくる感じでした。ぐさっと胸に刺さりました。
・前半は言いにくそうなので「これだけの職員の前で話すのは大変かな?」と思いましたが、後半を聞いて「すごいな!」と感動しました。




「相手への問いかけになる主張」が生まれる場をつくろう
「パンジーの勉強会」の可能性 〜まとめとして〜

大阪国際大学教授 橋本義郎

 勉強会の講師(知的障害の当事者)の主張の要約記録と、参加した職員が書いた感想・意見を読んで、最初に考え・感じたこと1点について書く。
「パンジーの勉強会」は、「おたがいに主張しあい、共に考え、新しい提案を生みだす」、言いかえれば「相手への問いかけになる主張」の場になっているか、もしくはそうなる可能性をもっていると考えた。
「主張」とは、ただしゃべることではない。自分が「きっとそうだ」と確信をもったことを他の人に認めてもらうために話したり、歌ったり、おどったり、絵をかいたり、作文したりして本気で表現することだ。この主張が「相手への問いかけになる」というのは、相手が賛成の主張だけでなく、反論・異論や疑問も含む主張もかえしてくれることを本気で願って、相手にとどくように工夫し、心をこめて自分の確信について表現することだ。
「全部言うのこわい」「心配」と感じながらも腹をきめて講師が本気で言う。「ワープロばっかり、当事者と話すより、力がかたよってる、どっちが大事なんや」「これから寒いから車で待つのはきつい・・・すぐ出れるように準備しといたらいい」「理由も言うてほしい」。職員はこうかえす。「『ちょっとまってね』とか当事者の方を少し待ってもらったりして、その時に『まってね』と言われた当事者の気持ちになると少し複雑」。
ひとつの主張が、もう一つの主張を生みだしている。その「もう一つ」の主張に刺激されて私は考え、問いかける。「少し複雑」ってどんな感じかな。
こんな具合の主張と対話(表現のやりとり)による合作(はやり言葉でいうと「コラボレーション」)で新しい提案を生みだしていきたい。「俺の言うことは全部正しい、お前らの言うことは全部間違い」と決めつけるような“主張”は大嫌い。




口ばっかりでごまかすな!
カリタスの家調査・抗議行動 

2004年11月、入所施設での信じられない虐待の数々が、毎日新聞で連日のように報道された。福岡県の知的障害者入所更正施設「カリタスの家」で、コミュニケーションの難しい当事者たちが、日常的に多くの職員による暴力の標的となっていた。「炭の作業場で炭を食べさせられた」「ボクシンググローブで殴られた」「当事者を袋詰めにし一晩放置」。施設長も虐待に加担し、熱湯のコーヒーを力ずくで3杯飲ませて大やけどをさせている。
「はっしんきちザ・ハート」では、報道の後、強い怒りと共に、見逃すわけにはいかない、カリタスに行くべきだという意見が出た。12月21・22日、全国のピープルファーストの仲間と共に、現地へ行き、調査・抗議行動を行った。
 ピープルファーストの活動に取り組んできた、パンジーの当事者のアンテナはとても敏感だ。権利侵害を許さない意志と、それを表現する力がある。仲間を大切にする日常的な取り組みに加え、滋賀県の「サングループ事件」で被害を受けた当事者を支援してきた経験が力となっている。
「カリタスの家」に調査に行った生田さんや梅原さんは次のような意見を述べた。「カリタスの職員は『人間として失格でした』って言ってたけど、人間やから悪いことするんや。口ばっかりでごまかしてる」「職員がはっきりしてないから、こんな事件がおきた。職員の支援が足らん。職員は見てないんや」「当事者殴っといて、辞めたらしまいはない。ちゃんと牢屋に入らなあかん」「鍵で閉じこめたら、動物みたいになる。一番したらあかんことや」「入所施設があるから、こんな事件が起きるんや」「ピープルファースト広げて、施設なくしていかなあかん」。
「カリタスの家」の当事者は、今も虐待を受け続けた施設での生活を余儀なくされている。私たちは、状況を打破するのは当事者の力だと信じ、当事者と共に、できる限りの手を尽くして支援をしていく必要がある。(支援者・福岡)




人に対する安心感
中新井澪子

 周りにいる支援者に自分の要求や意思を躊躇なく伝えられる人と、なかなか出せない人がいることを書いてきた。特に後者が気になるのは、彼らはより深刻な問題となる行動を持っており、自身も苦しみ周りも困ることが多いからである。それは彼らが持っている障害の種類や程度によって分かれるのでは決してない。また、彼らが教育や訓練で得てきたコミュニケーション能力の差でもないこともはっきりしている。
 では何が違うのか?私は彼らが持つ「人に対する安心感」ではないかと考えている。
 
 前号で書いたDさんのことを、もう少し話そう。彼は母親に対する安心感はあったが、要求が拒否されたり、行動を制止されたりすると家でも自傷が見られた。パンジーに来ると母親と別れるなり、顔面強打が始まる。筋肉が壊れて黒褐色の尿がでたり、眼底出血の心配もあったので、旅行も彼だけは母親同伴で行った時期もあった。
 私達はまずパンジーのスタッフに対する安心感の確立を容易にするために、Dさんの担当を固定し、出来うる限り行動を共にすることにした。当時彼は外をウロウロすることが多く、お茶とトイレをくりかえしていたが、スタッフのOさんはずっと彼に寄り添っていた。私も週一日はDさんの側に居て、表情、しぐさ、声などから彼の要求をくみとろうとした。「マァッ」「あァッ」の叫び声から「お母さん来てほしいね」「お茶が飲みたい?」などDさんの気持ちを察して言葉にする。その間も彼はバンバン自分の顔や頭を叩き、側にいると耳がツーントするほどの音が続く。「お母さんいないのはつらいよね」「よく我慢しているよ」といいながら彼のお腹や背中を軽く叩くと、その間だけ一瞬自傷が止まるような状態だった。 その後、自傷行為そのものは少なくなったり激しくなったり、すっかり影をひそめたと思うとまた再発したりの状態が続いていたが、その数年こそ、Dさんとスタッフの間の、「安心感」が育まれてきた期間だったように思う。
 言葉にして返すと、自分の要求には大きくうなずくようになったり、母親不在の心細さを共感すると、涙を流して大声で泣いた(母親の話では彼はほとんど泣いたことがないと言う)こともあった。またドリフターズの歌が好きで、音楽に合わせてサイドステップをふむ。一緒に踊ると笑顔がこぼれる。この踊りが出はじめると自傷行為が消えるので、当時のクリエイティブではいつも「全員集合」の歌が流れていた。
 そのうち、担当のOさんや私には強引に手をひっぱっていって訴えるようになる。お茶、買い物、着替え、トイレなどはいいが、要求を出したにもかかわらず、そのとおりにならない場合や(車での外出や時間前の給食など)や分かってもらえなかった時などは、イライラがよけいに募り、悲鳴に近い声を出して周りにいる人をつきとばしたりすることもあった。それでも、自分の要求や感情を支援者にぶっつけるのを歓迎した。
 私がパンジーでDさんと出合ってから8年になる。当初Dさんの担当はOさんだけだったが、次第に他の支援者にも要求が出せるようになり、数年前からは1人で旅行に参加している。同時に、ショートステイも可能になり、自宅(和式トイレ)以外で初めて排便も出来た。
 今でも「お母さん」を要求することがある。時計をみせて「まだ迎えの時間ではないよ」というと「仕方がないなぁ」とばかりに、他の訴え(身体がかゆいとか側に居てほしいなど)で少しだけ我慢している。彼の不安や葛藤が支援者との関係の中で解消されるようになってきているのがうれしい。
 そして今、私はPさんの側に居る。「どんな時も私はあなたの味方だよ」というメッセージを送りながら。詳細は次号で。




「ちがうからこそ豊かに学びあえる」のだ!!
明治図書(2004)

堀 智晴

ここに紹介する本は、堀智晴編『ちがうからこそ豊かに学びあえる−特別支援教育からインクルーシヴ教育へ−』(明治図書・2004)という本です。つまり、私たちの本です。ずうずうしいですが、私たちの本を紹介させてもらいます。この本は、まだ昨年の秋に出たばかりなので、ほかほかです。ぜひ読んで下さい。とくに、学校の先生たちや親ごさんに読んでほしいです。この本は、小学校の先生が三人と、障害のある子どもの親の一人と私の五人で書いています。
 障害があっても一人ひとり本当にちがいます。たとえば、今「自閉症」といわれる人が注目されていますが、自閉症といっても本当に一人ひとりちがった個性を生きています。だから、障害から人間を見るのではなく、まず、生身のその子ども自身、その人自身を見ることが大事です。障害があってもまず一人の人間です。まさに「ピープル・ファースト」です。それもただ一人の人間というだけでなく、一人ひとりがユニークなのです。文字通り「世界にたった一人のその人」です。
 そして、そのように一人ひとりがユニークであるからこそ、おたがいに豊かに学びあえるのだと思います。いろんな感じ方、考え方、生き方があるから、おたがいに影響を与えあって学びあえるのです。私はそのような実践を保育所や学校現場で見てきました。
 この本では、今文部科学省がすすめている「特別支援教育」ではだめだと、理由をあげて主張しています。学校教育を、障害のある子もない子もわけへだてなく、いろんな個性をもった子どもたちが、同じ場で学びあう教育=インクルーシヴ教育に変えていくことが必要だと書きました。インクルーシヴ教育は今、ユネスコが中心になって世界ですすめている教育です。日本の教育も、障害を理由にして<分ける教育>から<共に学びあう共育>へと変えていきましょう。(大阪市立大学)




今のままではダメですか?
クリエイティブハウス「パンジーU」施設長 林淑美

 二〇〇三年に始まった支援費制度は、ノーマライゼーションの理念を実現するために作られた。行政がサービスを決定してきた「措置制度」と比較すると、障害者がサービスを選択できるなど、自己決定が尊重されるとともに、当事者本位のサービス提供が期待され、障害を持つ人たちの地域生活をより可能にする制度であった。
 一〇月に、財源不足を理由にグランドデザインを発表した厚生労働省は、二月一〇日「自立支援法」として国会に上程した。信じがたいスピードである。
 グランドデザインが成立すると、利用に応じて障害者は費用を負担しなければならない。そして、日中活動の場や、グループホームが障害の程度で分けられる。パンジーでは、どこで活動したいか、どこにだれと住みたいかを大切にしてきた。それが当事者の意志とは関係なく、障害の程度によって移行を余儀なくされるのだ。グループホームでのホームヘルパーの利用も困難になる。
 大阪などで先進的な活動として始まり、やっと全国に広まったガイドヘルパー制度も、一部の障害の重い人を除いて市町村任せになる。知的障害を持つ人は、入所施設に象徴されるように、まだまだ集団生活を余儀なくされているのが現状である。そのような中で、コンサートやプール等、自分の行きたいところに行けるガイドヘルパーの制度は、唯一と言っていい個別サービスである。自立生活に向けての取り組みにも重要な役割を果たしてきた。
 財源不足をメインの理由とするなら、日本の経済は既に破綻しているという学者もいる。弱い部分にしわ寄せをするのではなく、だれもが生きやすい社会にするために、抜本的な改革が必要な事はだれの目にも明らかだ。
 見通しは明るくない。しかし、どんな時にも未来を切り展くのは当事者からの発信だ。「今のままではダメですか?」と問う当事者に、国は答えられるのだろうか。私たち支援者は、どんな変化にも対応できるポジティブなビジョンを持ち続けたいと思う。
posted by パンジー at 21:11 | パンジーだより

2005-01-01

パンジーだよりNo.54

入所施設を出て、地域で自分らしく生きる

 あけましておめでとうございます。2003年〜05年にかけて障害者福祉は大きな曲がり角に来ています。当事者が自分で選ぶというノーマライゼーションの思想に裏付けられた支援費制度が始まって2年もしないうちに、財源不足を理由に介護保険に統合される案が出されました。さらに「今後の障害保健福祉施策について(グランドデザイン案)」では、知的障害者にとって地域生活の柱とも言えるグループホームについて、障害の程度によって住むところを分けられる等、今のグループホームのよさをくつがえすような内容に驚きをかくせません。そして三位一体改革による福祉の一般財源化が言われ、憲法までもが「改悪」されそうな勢いです。
 今回の特集は「入所施設を出て、地域で自分らしく生きる」。現在、全国に入所施設は1622カ所・分場111カ所あります(2004年11月30日現在・WAMネットより)。約13万人もの知的障害者が暮らす入所施設とはどんなところなのでしょうか? 今号では、入所施設で暮らしていた2人の当事者にインタビューをお願いしました。彼らの口から出てくる入所施設の暮らしは「自由がなく、自分で決められない」というものです。そして多くの当事者は施設を出たい、入所施設は嫌だと訴えています。しかし、現状は知的障害者の入所施設から地域生活への移行率は、たったの1%です(「知的障害者の入所施設から地域への移行に関する研究」より)。
 立教大学地域移行研究センターの遠藤さんは「(地域移行できるかどうか)「本人」の「能力」を職員が判断している」と書かれています。また、入所施設で暮らしてきた松岡さんは「できる、できないに関係なく、支援してもらいながら地域で暮らすことが目的だ」と言います。1%を乗り越えるためには、当事者の「能力」を職員が手前勝手に判断せず、「どんなに重い障害を持つ人も地域で暮らすことを支援する」という意識の変革が必要ではないでしょうか。
 知的障害を持つ人たちが入所施設を出て地域で暮らせるようになるには、いろんな制度や、支援が必要です。でも支援があれば、だれでも地域で暮らすことができるのです。




入所施設からの地域移行
地域移行の質を問う

立教大学地域移行研究センター 遠藤 美貴

 先日手にした、パンジーだより53号にパンジーが行なった「当事者アンケート調査」の結果が掲載されていました。調査を行なった209名のうち、「将来、入所施設で暮らしたい」と答えた人は2名だけだったということでした。私たちも、昨年度、地域移行の取り組みをはじめている2つの施設において、入所施設から地域の住まいへと移行した知的障害をもつ本人に@入所施設での生活についてA地域移行についてB移行後の地域生活についてインタビュー調査を行いました。籍はまだ入所施設にある自律訓練棟で生活している方も含め、インタビューをさせていただいた70名の方全員が「現在の地域生活と以前の施設生活では、現在の方がいい」と答えていました。このような声は、彼らの本音であり、私たちが最も尊重すべきものなのではないでしょうか。
 ここでは、調査の中から明らかになった「入所施設からの地域移行」に関する実態を述べたいと思います(詳細は今年度末発行の『厚生労働科学研究成果報告書』参照)。まだ入所施設で暮らしている約13万人の人が地域に移行する際にどのような支援が必要なのか? 移行後もどのような支援があれば、地域でより豊かな暮らしができるのか? 少しでもみなさんが考えてくださるきっかけになればと思います。
 @入所施設での生活について:「規則がたくさんあり窮屈だった」「ケンカがあり嫌だった」など否定的な印象が多く語られました。そして多くの方が「施設を出たい」と思っていたにも関わらず、なかなか相談できずにいたことが分かりました。
 A地域移行について:「入所施設→施設内自律訓練棟→地域の自立訓練棟→グループホーム」という流れで、地域への住まいに移行している方がほとんどでした。引っ越し前に「説明、見学」や「職員と一緒に家具を購入する」「宿泊体験をする」などの、引っ越し後の生活をイメージしやすいような支援が提供されていました。さらにアパート探しの支援や結婚への支援を受け、単身アパートや夫婦アパートで生活している方もいました。また、すでに地域で暮らしている人たちが周囲にいることが、地域生活のイメージ作りに役立っていました。一方で、引っ越しの時期や場所、共同入居者などの重要な事柄については職員や施設側が決定しており、本人が関与していない現実もあることが分かりました。
 また、「施設内・地域自立訓練棟」というトレーニング的段階を経てグループホームへ移行しているということは、グループホームに移行できるか否かという「本人の能力」を、「職員」が判断しているということも分かりました。
 B移行後の地域生活について:就労の場や日中・余暇活動の場について選択肢が充実しているかどうかは、グループホームをバックアップしている施設によって違いがありました。しかし、例え充実した選択肢であっても、施設が準備したものが大半であり、地域やそこで暮らす人たちを巻き込んだ場にはなっていないようでした。一方で、本人の会や自治会などが、地域での孤立化を防ぐ場のひとつとなっていました。
 また、食事のメニューや日用品の購入などは本人の希望が反映されるような支援は提供されていましたが、金銭管理の支援や今後の人生を見通すような支援、職員や世話人への苦情を拾い上げるような支援はほとんど提供されていませんでした。
 このように地域への移行を本人の能力を基準にして職員が進めていたり、生活に関わる重要な事柄への決定を職員が中心に行なっているということから職員と本人の間に上下関係が見えてきます。また、地域に出ることで選択できる機会は多少増えたようですが、その内容が日常生活のことに留まっていることや、就労の場や日中・余暇活動の場を施設が準備・支援していることが、本来なら地域で得られるはずのさまざまな機会を妨げているとも考えられます。このような実態は、入所施設の生活とあまり変わりない状態であるとも言えます。入所施設からの地域移行とは、暮らす場所を地域に移すだけでなく、施設内にあった職員との上下関係をなくすこと、選択肢の幅や内容を広げること、さまざまな機会が得られる環境や支援について考えることをも含むものでなければならないと思います。
 また、すでに地域生活を始めている仲間からの情報は、未知なる経験に対する不安の軽減に役立つことや仲間が集まる場が日中活動や余暇活動の場の1つとなり孤立化を防いでいることから、本人の会が地域生活をより豊かにする役割を担っていることが分かりました。今後は、日中・余暇活動の場に留まらず、本人たちが中心になり、本人たちの声を制度・政策に反映させるような活動も求められてくるでしょう。そして、そのような活動が、先に述べたような地域移行や地域生活における課題解決につながっていくのではないかと思います。


えんどう・みき 入所施設で働いた後、四国学院大学社会学研究科修士課程へ。修了後、短期大学教員を経て、現在に至る。主に知的障害をもつ人々の自己決定支援や本人活動の研究を行っている。
「4月に四国・香川県を離れ、関東で生活を始めましたが、いまだに複雑な電車の路線に慣れず、反対方向へ行ったり、乗り越したり・・・。なかなか刺激的(?)な生活です」。




地域生活を選び取った当事者たち

野村信久さん
(クリエイティブハウス「パンジーU」)

 僕が、前にいた砂川更生福祉センター(入所施設)と、今くらしている「てくてく」グループホームを比べると、施設は自由がなく、とっても嫌でした。
 施設の一日は、朝七時に起きて、ご飯を食べ、ラジオ体操をして、朝の会をして、ジョギングをします。それから作業をします。作業は、紙袋を折ったり、ビニールに袋を詰めたりしていました。給料は、多い人で月3000円くらいでした。ボーナスはありませんでした。仕事は3時くらいに終わり、月曜日・水曜日・金曜日はそれからお風呂に入ります。それ以外の日は、部屋でテレビを見たりして過ごしていました。部屋は、2人部屋で見たいテレビもあまり見られなかったです。
 夕食の時間は、5時頃で、夜は8時頃になると“おなかがすいたな”と思っていました。夜は、職員の人が、9時に電気を消すので早く寝なければなりませんでした。
 土曜日や日曜日は、1日部屋で過ごしていました。朝と、昼には、散歩の時間がありました。買い物は月に1回しか行けなかったし、1日100円の小遣いしかもらえませんでした。アルコールもタバコもだめでした。
それに比べると、グループホームはとても自由です。持てるお金も、施設に比べると、多いです。グループホームは、時間が自由で、眠たいと思えば、適当に寝られるということでとってもいいです。今、グループホームだと、ビールとか酎ハイとか飲めるということでとてもいいと思います。部屋も1人部屋で自由です。
今、僕の部屋には、CDやMDデッキ、液晶テレビがあります。僕が、今うれしいのは、グループホームで生活して、電化製品がいっぱい持てたことです。入所施設だと、こんなに電化製品なんか、とてもそろいませんでした。
今、僕が気にしていることは、おしゃれを気にしています。入所施設にいるときは、ジャージでいることが当たり前だったけど、グループホームでは、みんなジーパンとかはいているので、僕もおしゃれはとっても気になります。髪の色も、グループホームに入って変えました。
僕は、まえ入所施設に入っていました、でも、入所施設は嫌です。グループホームに入って、対府交渉もしました。対府交渉では、入所施設をつくるな、グループホームを増やせと言いました。施設より、地域で暮らせるほうがいいと思います。
今僕が思うことは、入所施設よりグループホームが最高だということです。




「ぼくの体験―施設での生活と地域での一人暮らし」
 松岡 敏雄(ピープルファースト北海道)

 ぼくは、東京で生まれ育ちました。19歳から30歳まで東京の七生福祉園に11年間入所しました。その後、北海道の「札幌育成園」系列の「寿都浄恩学園」に入れてあげるといわれ、入りました。「寿都浄恩学園」は、とんでもない「悪い施設」でした。年金は全部寄付だといって取られました。働いても給料は貰えませんでした。福祉事務所の人も、施設の理事長や施設長も「施設」の中身をぼくにわかるようには教えてくれませんでした。
 だから今、裁判を起こして闘っています。
「寿都浄恩学園」は禁酒禁煙で、こずかいを一円も持たせてくれず、缶ジュース1本、飲めませんでした。洋服や下着や靴下など全部、職員が段ボール箱で町から買ってきてサイズだけ合わせて仲間たちに配るのでした。色や好みの柄など何も言えませんでした。そんなことを言えば「正座」とか「食事抜き」とか、叱られると仲間たちは話していました。お風呂には火・木・土にしか入れませんでした。施設には70〜80人の当事者がいるのに泊まり職員は2人でした。
 脱走しましたが、見つかって連れ戻されました。食堂の中で「飯抜き正座」させられました。一週間のその「罰」の間、ぼくは意地を張って水だけ飲んで暮らしました。とてもお腹がすくし、悔しかったです。
 ぼくは、そんな施設が本当に嫌になって、施設を出ることにしました。
 
札幌での地域生活で大事なこと
 家事は一人だと難しい。支援費制度を使ってホームヘルパーなどに手伝ってもらっています。ガイドヘルパーの制度もあります。知らないところへ出かけるときに使えます。
 ぼくは一人だと計画してお金を使えなくて、あればありったけ全部使ってしまいます。いっぱい失敗しました。今は作業所の人にてつだってもらっています。
 自分の思ったことをなかなかいいだせない。でもいろいろな活動の中で、支援者に手伝ってもらったりして、少しずつできるようになってきたと思っています。
札幌での一人暮らしのよいところは、支援者と相談しながら、自分の自由な生活ができるところです。アパートを選んで決めて、そこに住むこと。遊びに行くところを決めること。買い物に行って、好きな洋服や食べ物を買えること。施設と違って、自由があります。ぼくは施設を出れて、本当によかったと思います。
 入所施設はもういらない。できる、できないに関係なく、支援してもらいながら、地域でくらすことが目的だとぼくは思います。




問題になっている行動W
中新井 澪子

 「問題になっている行動U・V」で書いたように要求の手段や方法は持っているにもかかわらず、そして、伝えさえすれば実現に向けて支援してくれる人が側にいる場面ですら、要求を表現することに怯えたり、とまどったりしてそのフラストレーションが自傷他害行動に結びつく人達のことがずーと気になっている。
 先日保育所でも気になる場面に出会った。重い知的障害を持つAくん(6才)は家の事情があり、朝食を食べていないことが多い。保育所側はその分を、給食で補う方針で、積極的におかわりを勧めてきた。Aくんも給食は大好きで、お替りの要求は食器を保育士の所へ持っていくことで表現できるようになってきた。にもかかわらず、彼は何かを避けるかのように皿を持った手で耳を押さえて、保育士の前を行ったり来たりする。そして意を決するようにお皿を差し出すのだ。
 その姿はパンジーのDさんに重なる。自傷行為の激しかったDさん、今ではパンジーでもすっかりくつろいだ状態で過ごせるようになった。いつか、いびきをかいて眠ってしまったことがあり、以前眠いのに眠れずイライラして自傷を繰り返していたのが嘘のようだ。そんな彼も給食のお替りとお茶の要求(いつも持っているペットボトルがからになった時)の時は、今でも落ち着かない。ソワソワしたり、声を出したり、顔を叩くまねをしたり、そしてスタッフや私が横にいると食器やボトルを「やってくれ」とばかりに差し出す。誰も側にいない時はどうするのかとそっと見ていると、厨房の前をやはり落ち着かなく行ったり来たりしている。給食時以外も、彼がいつでも飲めるようにヤカンを置いているにもかかわらず、彼は散々イライラしたあげく、意を決してお茶を飲むのだ。要求が実現したときはいつものことだが、本当にうれしそうに踊るような足どりで彼のお気に入りの場所(仕事をしないときは1人で食堂にいる)に戻っていく。給食もお替わりを断られることはないのだが、自分で直接食器を持って厨房のスタッフに要求するときは、やはり毎回努力している様子である。
 要求が一回スムースに伝わったからといって、次から大丈夫とはいかないのはDさんに限ったことではない。確信が持てない(要求と結果の因果関係は分かりにくい)のか、前のことは忘れてしまうのか、その都度同じ葛藤がくりかえされることが多い。また新しい要求が出来てきたり、要求の度合い(今すぐ・もっともっとなど)によって、問題といわれる行動が激しくなったりすることもある。
 Dさんの場合、家では母親が何でも察して彼の要求を満たしていた。母親がいないと、自分で何らかの表現をしない限り分かってもらえないことを知った頃から、パンジーでの自傷行為が見られるようになった。自傷をすれば表現しなくても要求が通ると思っていた時期もあったと思う。スタッフは彼の要求や思いに気づき、受け容れることから始めた。そのうち声や仕草で表現し、それも最初は特定の支援者にだけ、今ではパンジーの多くのスタッフに安心して、むしろ強引に訴えるまでになっている。自傷行為はその時々に出たり消えたりしてきたが、自傷が要求の手段になることはもうないだろう。
 前々回に書いた「大丈夫」のNさん、要求が分かりにくく、いくつか考えられる要求を紙に書いて(彼は字を書いたり読んだりできる)貼ってあるのだが、それでも突然パニックに陥ることが多い。ところが先日、私のところに一人でやってきて、やおら私の手をとり窓のところへ連れていく。「何をして欲しいの?」と聞くと「フトン」と言って庭に干してあるフトンを要求した。これは、今年のパンジーでの最もうれしい出来事で、これからが楽しみである。来年もよろしくね。




想像できないことは創造できない

林淑美(クリエイティブハウス「パンジーU」施設長)

地域移行とは、知的障害を持つ人の意思と関係なく生活することになった入所施設を出て、さまざまな制度を利用しながら地域の中で自分らしいくらしを築くことをいう。地域移行は、一部の先進的な取り組みに触発され、さまざまな地域で取り組まれ始めている。そして、今後、地域移行はシステムが整備され、実現していくだろう。
 しかし、地域移行を進めることになるだろう入所施設や関係機関の職員と話す機会がある毎に、私は言いようのないもどかしさを感じる。「障害の重い人が果たして地域での生活が可能なのか」「障害の重い人の意志確認はどうするのか」等のどうどう巡りの議論になることが多い。地域移行をどう進めるかの議論に至らないのだ。
 1点目の、「障害の重い人が果たして地域での生活が可能なのか」については、実際に地域で暮らしている障害の重い人の生活を見せてもらうのがもっともよい方法だと思う。私のお気に入りのメルマガで、「人は想像できないことは創造できない。自分の中でイメージできないことは体験することができない」という文章を見つけた。大切なのは、本人の能力を基準に、地域移行が可能かどうかを決めることではない。障害の重い人の地域でのくらしを、目で見て心で感じて、自らが関わっている知的障害をもつ人たちの地域移行の実現へのプロセスを組み立てることなのだ。
 パンジーでは、「どんなに障害の重い人でも地域で暮らせるし、支えられる」と信じている職員が多い。それは、実践を重ねてきた中での実感である。専門家から地域生活が困難といわれている人の地域でのくらしを支援し始める時は、確かに緊張する。どこに住むか、誰と住むか、生活費をどうするか、支援者をどう集めるか、地域との関係はうまくいくかなど、一つ一つを組み立てていく。その過程で、その人らしいくらしができていくのをみるのは、とてもうれしい。しかし、すべてが順調ではない。近所とのトラブルをはじめとしてさまざまな事が起こる。その時は、支援方法や環境を変える事などを試みる。行き詰まる時もある。大切なのは、その人が安心して生活できる日が来ることを信じて、決してあきらめないことだ。近所とのトラブルさえもが、より親しくなるためのきっかけになることもある。
 2点目の「障害の重い人の意志確認をどうするのか」については、以下のように考えてきた。何らかの要因で入所施設に入った人たちが再び地域での生活を選び取るのには、勇気がいる。不安が先立って当たり前だ。彼・彼女らが、不安を抱えながらも新しい生活を始めようと決心するのには、地域で仲間とともに支えあって生活している当事者に出会うことだと、私は考える。そして、地域生活を選びとった当事者たちと、「障害の重い人にとってどのようなくらしがいいか」について話す時、彼・彼女らは「障害が重いから入所施設がいい」とは決して言わない。「支援者がなんとかしてあげてよ!」と言う。そして、たくさんの経験をしてもらう中で、その人が最も安心し楽しそうにしているくらしが最適だと考えてきた。
私は、知的障害をもつ人たちの支援方法に迷った時、当事者に意見を求めてきた。迷いが一瞬にふっきれる時がある。シンプルだが力強い。職員は、専門性の的確さに迷うより、当事者と地域移行に向けての一歩をふみだすほうが大切だと思う。それは、苦しい時もあるが、わくわくと楽しい。




塩野七生著
「ローマ人の物語」考

社会福祉法人創思苑理事長 枝本信一郎

「ローマ人の物語」考などという大それたタイトルをつけてしまったが、この本を論評する意図は無い。熱心な読者というわけでも無い。数年前、ハードカバーで出版され評判になったころには、高いし重そうと、興味は引かれながらも、買って読もうともしなかった。が、最近文庫化され、安いし軽いということで、やっと読み始めた。ただ、作者の塩野七生は、比較的お気に入りの作者の一人ではある。バランス感覚に優れた歴史観が気にいっている。
 さて、「ローマ人の物語」16冊目、初代皇帝アウグストゥスの頃に始まる「パクス・ロマーナ」を読み終わったところだが、「市民」という言葉について考えてみたい。筆者はこの言葉を、政治の当事者・歴史創造の当事者としての自覚を持った民衆という内容で捉え、「知的」障害を持つ人々がどのような形で「市民」としてあり得るのかを考えてきた。そんな意味では、「市民」は筆者の問題意識のキーワードといっても良い。
 塩野七生は「古代の市民とは、投票権をもつことで政治に参加する権利をもつ人を意味する。どこかで彼らの政治参加意欲を満足させなければ、何かをきっかけに不満が爆発する危険があった」と書く。皇帝に「不満が爆発する危険」を感じさせ、「政治参加意欲を満足させ」るための選挙区割りを実行させる、そのような「市民」としての民衆の政治参加の意識が、紀元1世紀前半のローマの時代にあったのである。
 えらい遠回りをしてしまったなー。ここあたりのことを学んだ上で、近代の「市民」について勉強していれば、もっと深く学べたかもしれないな、と思う。
 近代の「市民」について言うと、利己的な雰囲気が漂う個人主義と不可分な語感がある。このため、個人的というより連帯的な主体性を発揮する知的障害者と、言葉としての「市民」を結びつけることに違和感があった。このあたりの違和感を何とかしなければ、知的障害者が市民として登場することは困難なのではなかろうか、などと考えていたのである。
それが、源流としてのローマ「市民」を視野におき、19世紀初めの市民の姿を見つめなおしたら・・・。
 「ローマ人の物語」は、色々なことを考えさせられる本である。

posted by パンジー at 21:36 | パンジーだより

2004-10-01

パンジーだよりNo.53

知的障害を持つ人の地域生活について

 知的障害を持つ人は、全国に約46万人。そのうち約13万人が入所施設で暮らしています。
1人暮らしをしている人、夫婦で暮らしている人、グループホームなど地域で自立した生活を送っている人は、46万人の1割にもなりません。
 2003年から2004年にかけて、パンジーでは、関西地区、徳島、沖縄、鳥取の209名の当事者にアンケート調査を行いました。調査は知的障害を持つ当事者が対面で行いました。そのことで、より当事者の本音に近づけたのではないかと考えています。アンケートで「将来住みたい所」について聞いたところ、「入所施設で暮らしたい」と答えた人は2人だけでした。多くの知的障害を持つ人たちは、地域で暮らすことを望んでいるのです。(表1)
 
 パンジーのグループホームで暮らして3年目になるMさんという男性がいます。彼はいわゆる重複重度の障害を持っています。パンジーでは彼の生活を全面的に支援しています。今回の『パンジーだより』で、医療・仕事・グループホーム(生活)・日中活動・制度の面から彼の地域生活を紹介したいと思います。そして、どんなに障害が重くても地域で生活できることを実感していただけると幸いです。




知的障害を持つ人の自立と支援者の役割
林 淑美(クリエイティブハウス「パンジーU」施設長)

自立への取り組み・・パンジーの実践をとおして
 私の所属するクリエイティブハウス 「パンジー」は、知的障害を持つ人の日中活動を支援する通所授産施設である。1993年の開所以来、知的障害を持つ人たちが地域で自立するためのシステム作りとそれを支援できる職員の養成に力を入れてきた。知的障害を持つ人が家族との生活に息苦しさを感じたり、家庭基盤の弱体化に伴い、一緒に暮らす事が困難に思われた時、その打開策を入所施設に求めない事を基本としてきた。
 現在、パンジーの通所者57人中28人がグループホームで暮らしている。てんかん発作がある人、自傷・他傷のある人、身体障害との重複のある人、言葉によるコミュニケーションの困難な人等、地域生活は無理だと言われてきた人たちも受け入れてきた。その結果、障害の重い人が8割になる。
 グループホームの入居理由は、親の離婚や長期入院等により、家族との同居が困難になった人が5人。こだわりやパニック等で家族が当事者を支えられなくなった人が4人。家族が当事者の将来の事を考えての入居が8人。これは、自閉的傾向や障害の重い人の親が選んでいる。そして、当事者の希望が11人。自分の希望を言葉で伝える事のできる人たちである。その内、7人は他の理由も併せ持ち、当事者の自己決定のみでグループホームを選んだ人は4人だけである。
 以上、グループホームへの入居理由を見てみると、当事者の自己決定を除いては、入所施設への入居理由とほぼ同じである。という事は、パンジーに通っていなければ、入所施設で暮らす事になった可能性の高い人の数でもある。
 要するに、地域生活の基盤が危うくなった時、当事者や家族の持っている情報やまわりの人の支援の量で、入所施設か地域生活かが決まってしまうのが、知的障害を持つ人をとりまく福祉の現状である。

職員から支援者への転換
 知的障害を持つ人の暮らしは、まだまだ入所施設が主流であるにもかかわらず、パンジーに通う人たちの約半数がグループホームで暮らしている。全国的に見てもかなり高いパーセンテージである。
 この事の最大の要因は、支援者の意識だと考える。従来の施設職員は知的障害を持つ人のできない面や困った面に着目し、指導や訓練によって健常者に近づけようとしてきた。障害の重い人については、地域生活は無理だと考え、入所施設が適当と決めてきた。
 施設職員は、知的障害を持つ人たちと多くの時間を共有している。その時間を、指導や訓練に費やすのではなく、知的障害を持つ人が自立に向けてチャレンジできるように支援をしていくことが大切だと考える。 パンジーでも、新入職員のなかには、指導しようとする人や障害の重い人の自立を信じられない人もいる。それでも「地域で共に生きる」という理念にもとづいて、悩みながら実践を重ねるなかで、どんなに障害の重い人でも地域で暮らせるし、支えられるのだという自信を持つようになる。その自信が、パンジーで自立している人のパーセンテージの高さにつながっていると考える。      (『部落解放−知的障害者の人権−』より、一部抜粋)




Mさんとの出会い

 Mさんとの出会いは、2000年8月、ショートステイの依頼から始まった。その時のMさんはガリガリに痩せていて言葉もなく、車いすの上で、無表情に一点を見つめているだけだった。母親から、以前は就労もめざしていたこと、しかしその後20年近くいくつかの精神病院に入院し、最近自宅に戻ったことを聞く。しかし自宅での介護は難しく、2週間単位での入所施設併設のショートステイで繋いでおり、行政も空きが出れば施設への入所を勧めているとのことだった。パンジーではMさんが地域で自分らしく暮らせないか模索してきた。これまでのMさんへの関わりをまとめてみる。

(省略)

Mさんが、パンジーに通いグループホームで暮らし始めた頃石神先生から「彼のこれまでの経験を共有できるように」とのアドバイスがあり、20代の頃通っていた施設に話しを聴きにいった。そこには母親が見せてくれた写真のとおり、野球が好きな、生き生きとした活発な青年の姿があった。なぜ20年間も入院しなければならなかったのか、支援はなかったのかと、怒りが沸いた。
 3年たった今、豊かな表情は戻り、体力も回復していったが、同時に不眠が続いたり、飛びかかるなどの激しい行動に、関わる人たちが戸惑い、疲れ果てることもたびたびある。その度に石神先生やいろいろな人からのアドバイスをもらいながら、支援のあり方を話しあっている。過去のMさんの経験を尊重しながら、今のMさんが安心して、笑顔で暮らせるために、できることをこれからも考えていきたい。                         (たき)




Mさんの主治医として
社会福祉法人大阪府衛生会附属診療所<パンジー嘱託医> 石 神  亙

 2001年5月16日の初診以来もう三年以上のお付き合いになりますが、Mさんは、私にとって未だに謎の人です。
 初診時、哀愁をたたえた目つきや表情と対照的な、人なつこくてユーモラスな言動。行動はぎこちなく、左上肢には明らかな運動麻痺があり、尿便の失禁もあるというが、明光ワークスに入所していたのなら、当時は知的にも、運動面でもかなり能力が高かったはずです。それがどうして今のようなレベルにまで低下してしまったのか。2度まで精神科病院への入院に至った理由は何か?入院中に何があったのかを知りたいと思いましたが、彼に言わせようとするのは酷な気がしました。それで、「明光学園(現・明光ワークス)の西先生知ってる?」と問うと、「シッテル」。「こわかった?」「ウン」。「ぼくも西先生知ってるで」と言うと「ヤバイ!」といたずらっぽく答えたのです。「最初に入院したのはA病院?」「チャウワ!」。ついには水を飲んで、「アッ!ジュース入ってるやん!」とおどけて見せるなど、初診時からなかなかの役者ぶりを発揮しました。
 私が最初からこのような会話をMさんに挑んだのは、「明光学園という、知的障害者の中ではエリートコースを歩んできたMさん本人が、今の状態をどう感じているのだろう?」「ここに至るまでの悔しい思いが彼の今の行動に影響しているのではないか」と思ったからです。われわれ専門家は、お年寄りでも、障害者でも、今の姿に目を奪われて、本人が描いてほしいと願っている、その人の人間像を知ろうとしていないのではないでしょうか。Mさんの場合は、かつて、作業所の野球部のキャプテンだったと言う情報を得ていたので、「その頃のことが分かるような資料がほしい」とお願いしたところ、パンジーでは早速‘87年当時の写真をコピーして来てくださいました。自分のかつての勇姿を見ると彼は目を輝かせました。私としては、病院で何があったのかが一番知りたかったのですが、その話をしただけで彼は立ち上がって硬い表情になったので、彼の辛い過去を我々が察するしかないと思い、それ以上の追究はしないことにしました。精神科病院に入院した経緯も、まだ分かっていません。
 Mさんは、毎月1回はパンジーの他の仲間とともに、診療所に通ってきます。気が向けば、採血に応じてくれることもあります。たいていは「イヤヤー」「イタイワー」と拒否されますが・・。同様に、薬の効き目も気まぐれです。睡眠時間や、興奮・行動のコントロールなど、常識はことごとく打ち砕かれるのです。症状と薬のイタチゴッコはこれからも続きそうです。
 でも、Mさんは、皆に好かれています。好かれないまでも許してもらえるのです。人の気持ちをそらさない、無類の甘え上手だからでしょう。子どものときはきっと親に可愛がられたのでしょう。いつまでも子どものままで居る積りのようですが、「マーイッカ!」。




Mさんが利用している制度

Mさんが地域で自立してはや3年。
現在は次のような制度の裏付けによって、自立生活をしています。

身体障害者居宅介護事業(日常生活支援)
ホームヘルパーに入ってもらい、掃除洗濯等の家事や、入浴介助、買い物、グループホームでいっしょにのんびり過ごしたりします。グループホームに入居しているので、色々制限はあります。

知的障害者居宅介護事業(移動介護)
ガイドヘルパーといっしょに、いろんな所に出かけます。近鉄ファンだったということで大阪ドームへ野球を見に行ったり、暑い日にはプールへ行ったりします。目標はノーマルな余暇を過ごすこと。たとえ、計画を立ててもその日、気分が乗らないときはだらだら過ごす。計画の通りにはなかなか行きませんが、それは人間誰しも同じ事だと思います。

知的障害者地域生活援助事業
グループホームつばさに4名で入居しています。地域のマンションに住んでいます。世話人やホームヘルパーと過ごしています。

障害基礎年金

生活保護
パンジーUに通い、グループホームの住人となったことを機に、生活保護を申請しました。これにより、家族の経済的な負担はなくなりました。

他人介護料
生活保護を受給したことで、他人介護料の申請をしました。これは、月に○○円を、支給するからそのお金でヘルパーを雇いなさいよというお金です。

グループホームに住み、制度もたくさん利用し、毎日確実に支援者が確保されたMさんの自立生活は一見、順風満帆にみえます。 しかし、地域での理解や支援をうけ、本当に安心して過ごすことが出来るのはいつになるでしょう。制度が全てじゃありません。Mさんの地域生活には まだまだ課題が山積みです。
(よしたけ)




Mさんの仕事っぷり!

Mさんは、パンジーU(通所授産施設)で昼間、仕事をしています。Mさんは主に、車で地域の小学校や保育園などに営業や配達に行っています。学校の先生方などに笑顔を見せながらアピールをしているので、名前を覚えられています。休みのときなど「Mさんは?」と言われてるなど、存在感を出しているのです。
 パンジーにいるときは、好きな当事者の名前を呼んだり、近くに行ったりしています。周りの当事者の喧嘩には必ず口だしをしたり(よけいこじらすけど・・)、ちょっかいをかけたり、いたずらをしたりと、もまれながら楽しく過ごしているようです。
 そんなMさんですが、パンジーに来たすぐの頃は、周囲の人達への恐怖心・不信感などが強く、おびえた表情で周りの人達に攻撃的な行動で接していました。職員も当事者も、はじめは、どう接するか一生懸命考えました。そして「ここはパンジーですよ」「みんなMさんのこと嫌いじゃないよ」と、伝え続けることにしました。Mさんより年配の当事者は、「よしよし」と、Mさんを包み込むように接していました。
 Mさんは少しずつ変わっていきました。みんなのことをよく見ます。当事者のことも、職員のことも見ています。すっかりパンジーになじんだMさん。この5年間でゆっくりと自分の生活を取り戻していっていると信じています。          (みたて)




Mさんのグループホームでの様子、支援等について

2001年の入居以来、Mさんに対して様々な支援が試みられてきた。が、未だに「この支援は適切だった、効果的だった」と確信を持って言えるものはそう多くないのが実情である。そんな中、迷いつつも行われたこと、印象に残っていること、現在の様子などをちらほらと。
食事・・・当初は飲食物に対する執着が強く、落ち着いて食べることが難しい状態であった。食器が飛んだことも一度や二度ではない。おかわり6杯という記録も(その支援については議論になった)。落ち着いて、安心して、十分な量を食べてもらえるよう支援を心がけた。現在は状態にもよるが、落ち着いて食事できる場面が増えている。
排泄・・・失禁が多い。便秘、下痢を繰り返す等。時間排泄、薬の改善など試みた。上手くいくように思われた時期が続いたと思ったら急に安定しなくなる、ということが今なお続いている。トイレで排泄できる喜びを、Mさんと共有する日々である。
入浴・・・狭い空間が苦手なのか、落ち着けない様子。一方で、とても気持ち良さそうに湯船につかって、なかなか浴室から出てこないことも。
睡眠・・・グループホームにとって大きなテーマである。睡眠は不安定で、入眠剤、安定剤等を使用している。にもかかわらず、状態によっては全く眠れない事が容易に起こる。眠れないだけでなく、一晩中室内を歩きつづける、長時間大きな声が出続けることもある。   
大きな声が出ている時には、近所の様子も気になる(深夜は特に)。安定した眠りのために、部屋の様子、就寝までの流れ、添い寝の仕方(すべきかどうかも含めて)、薬の改善等色々検討してきた。この春から今までが嘘のように安定した睡眠が続いている。約半年間。眠前服用の薬が合っているようだ。担当医の石神先生との相談、試行錯誤の積み重ねにより得られた重要な結果だと思われる。
入居当初はやせ細り、歩くことも難しい状態だったMさん。現在はたくましい太ももとふくらはぎの筋肉と、引き締まったウエストをほこっている。今後も、元気だったり静かだったり、怒ったり笑ったりしている様子を見ながら、共に試行錯誤を積み重ねつつ、より良い生活を目指して、日々、暮らしていくことになるのでしょう。


posted by パンジー at 21:47 | パンジーだより